全部全部雑記

思ったことを恥ずかしげも無く

肉じゃがのじゃが

たまに450円の仕出し弁当に、肉じゃがのじゃがが入っている。

明らかに肉じゃがの味なのに、じゃがいもしか入っていない。

肉じゃがのじゃがが気に入ってしまって、入っている度に先輩に報告している。

「肉じゃがのじゃがが入ってます!肉じゃがのじゃがが!」

 

とにかく、肉じゃがのじゃがが言いたいだけである。文にすると読みにくさが酷い。

意味がわかるのに語感が素晴らしい。こういうナンセンスが好きだ。

PPAPは上質なナンセンスで個人的に高く評価していた。

いつのまにか、なにかを適当に二つ合わせる芸になってしまって残念。

 

今日は肉じゃがのじゃがが言いたかっただけです。おやすみ。

 

実績報告

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今日は生頼範義展に行ってきた。上野の森美術館が混んでいるのをはじめて見た。外国の方も散見された。

スター・ウォーズゴジラの映画ポスター、小松左京平井和正小説のカバーイラストなど、戦後のサブカルチャーを下支え(牽引)してきた、重要なイラストレーターである。

のんが音声ガイドだったので思わず借りてしまった。ちょっと舌ったらずで可愛かったです。

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 カバーイラストを描いた本がタワーになっている。4面全てが本でぎっしり。これだけでも驚くべき仕事量である。『ムー』や、今は亡き『SFアドベンチャー』など。

後ろに見えるポスターも写真撮影可だったが撮ってくるのを忘れてしまった。

ゴジラvsビオランテ』の映画ポスターが良かったのだが、図版に載っていなかった。残念。

 

油彩のイラストレーションなので、やはり生で見るのと、図版やインターネットで見るのとは印象が違う。行ってよかったと思う。

 

 

土曜日はハンターマウンテンでスキーをしてきた。

天気はよかったけれど寒かった。そしてとにかく混んでいた。雪も良くなかった。

初級者から見ると上手く見えるが、上級者から見ると下手という、まさに中級者の状態で頭打ち状態。今年はスキルアップを目指す。

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充実してたのでよく寝れそう。おやすみ。

「プッ フフ アハハハハ」

ゲームやアニメで目にするこの表現がとにかく苦手。

シリアスな場面で、主人公がなにか心に刺さる言葉とか、場面にそぐわないことを言い、強敵が仲間になっちゃったり、主人公に心を開いちゃうあれ。

顔が引き攣ってしまう。

 

「プッ フフ アハハハハ」のパターンには二つあって、一つ目は「え、なにか変な子と言った?」みたいな雰囲気になるヤツ。

もう一つは、一緒になって笑い出すヤツ。これはもう狂気の沙汰である。

フィクションでしか見ない、あまりに使いふるされていてボロキレ同然の表現。腐敗臭すらする。

 

これを最近見たのは『ゼノブレイド2』。

ストーリーは上記の感じで吐くほどコッテリしていた。

そこがとても良かったです。買ってから数百時間やりました。追加のストーリーが楽しみです。

 

 

1月の週末はこれから全てスキーだ。「持ってくれよ私のカラダ!」

おやすみ。

視界のこと

ヘルメットを換えたらバツグンに視界が良くなった。

ヘルメット付けてるのか解らなくなるくらいクリアだ。

高校卒業してから6.7年使ったヘルメットで、シールドだけ交換するのもありだったが、あご紐が壊れてしまってどうしようもなかった。

 

通勤途中、ヘルメットの視界のよさを感じながら、視界が狂ってしまったことが何度かあったことを思い出す。

 

一つ目が、お酒を飲んだときのこと。

友達の家で、友達が作った梅酒を飲んでいた。自分がお酒にとにかく弱いことを知っていた友達は、だいぶ薄めて出してくれたが、その日の体調が悪かったのか、どうもダメだった。

首の辺りの血管が、うるさく聞こえるくらい脈打っていた。

意識はしっかりしているのに、視界に黒い点がジンジン湧いてきて、その点がだんだんと広がっていき、ついには何も見えなくなった。

友達に「目が見えなくなった」と言っても、初めは本気にしなかった友達だが、本当に目が見えないことが伝わるとものすごく慌てていた。

介護されながらトイレに連れて行ってもらい、30分くらい安静にしていたら徐々に視界は回復して、普通に見えるようになった。

トイレから出るとその友達は涙目だった。

目が見なくなった話をすると、基本的にお酒を勧められることはなく、稀有な経験だったと思う。

 

二つ目が、隣の部屋から喘ぎ声が聞こえたときのこと。

その時彼女と単に寝ていたのだが、喘ぎ声が聞こえてくると、視界が歪んだ。

カイジ』の負けシーンで描かれている擬音「ぐにゃあっ」という感じがまさにそれで、あまりの的確な表現で驚いたのを覚えている。

視界が渦を巻いている感じ。目をしばしばすると元に戻るが、しばらくするとまた歪んだ。

自分の男性としてのパフォーマンスの低さゆえに、慢性的なセックスレスだったが、隣の部屋の喘ぎ声は、自分にとって激しいプレッシャーだったのかもしれない。

もしくは、隣の部屋の喘ぎ声が、ちょうど自分の脳になにかしらの影響をあたる周波数だったのかもしれない。

あのときの視界の歪みは原因不明である。これも稀有な経験だったと思う。

 

 

夜更かしせずに寝よう。目を大切に。おやすみ。

満員電車

朝、ツイッターのトレンドワードに満員電車が入っていた。

一見なんのニュースも無かった。単に満員電車に関してツイートした人が7000人以上いたのだと思われる。

 

満員電車は中高で経験して、もう関わりたくないと思った。

朝の千代田線の人口密度は、まさに過密。電車に押し込む専属係員がいて、その状況に気分が悪くなった。

自分が足の力を完全に抜いても倒れない。ひしめきあうという感覚は、語感の不穏な感じも含め、満員電車でしか感じたことが無い。

明らかに歪んでいる。

現在は地元で働いているなので、満員電車に乗ることは、そうそう無い。当然、満員電車に乗っている人たちより給料は低い。

 

満員電車で股間を触られることがしばしばあった。子どもの頃から可愛くない顔をしていたが、それでも触られる。可愛い顔をしている友達はがっつり触られたと言っていた。

男でこれなら女の子など尚更だと思う。

 

何で読んだのか忘れたが、強制猥褻でひっ捕らえられた人達に関する記事があった。

痴漢をしなくなったことで得られたものは何かと問われ、捕まった人達は、「特にない」と答えた。逆に、痴漢をしなくなったことで失ったものは何かと問われ、多くが「生きがい」と答えた。というものである。

痴漢は犯罪である、被害を受けている被害者がいて、その被害者に何ら落度が無いということは重々承知で、少し共感してしまった。

毎日毎日、朝は早く、帰りは遅い満員電車に乗り、時間的になにもできないサラリーマン。仕事から帰ってきて寝て起きて仕事の毎日を想像すると、痴漢が「生きがい」になってしまった人たちが、必ずしも遠くにいる人たちとは思えない。

社会に使い潰され痴漢になる労働者。多くの人は社会生活を送っているわけで、痴漢になる人たちはきっと弱いのだろう。

自分は、自分が強いとは言い切れない。痴漢をやらないほどの強さを持ち合わせていると思いたい。

満員電からはさっさと身を引いたが、痴漢になる可能性があったことを常に捨てきれないでいる。

 

7000人近いひとが満員電車と呟く。きっと何かしらの不満があるのだろう。

みんな早く帰るか、地元で農家になろう。おやすみ。

タマ出し

職場で今後のスケジュールを作っていた金曜日の話。

案を出すという意味で「タマ出し」という言葉を使った。

タマは漢字で書いてあったのだが、タマにもいろいろある。先輩が思っていたタマは、自分とは違っていた。

自分には確固としたこの漢字というのがあった。それはこの「弾」である。先輩は「玉」だった。どちらが正しいかは解らない。どちらとも正しくないかもしれない。どうでもいいという説もある。

ちなみに、「玉」なら「球」だと自分は思う。

 

言語の感覚の違いというのは難しい。

受験英語を教えていたことがあるが、ひとつの単語がいくつかの意味を表すとき、その単語の意味の連関性が掴めないという生徒は意外にいた。そういう子たちは文脈をつかむのも苦手だった。たぶん真面目すぎるのだと思う。

そもそもがテキトーなんだから、適当でいい。

 

 

今日は弟がいつの間にか持っていた「君の名は」を見た。

久々に見て思ったが、彗星の落下点で死ぬというのは、ちょっとオツな気がする。実際はどんな景色なのだろう。三葉ちゃんは覚えているのだろうか。

おやすみ。

涙腺

短い冬休みが終わって仕事が始まってしまった。

冬休みは特に何もせず、主に寝ていた。更新していない間も特に何もせず、主に寝ていた。

強いていえば、祖父のお見舞いに行った。

脊髄か何かの病気で下半身が動かなくなり、手術ののちリハビリ中。順調に回復していて、お風呂以外のことはだいたい自分でできるようになったという。まもなく退院予定であru。

 

祖父の病室は病院の5階で、大変見晴らしがよい。

1月1日は天気もよくて雲ひとつなかった。西のほうに山々、東に筑波山が見えた。西の山は高いところに雪が積っていた。山の向こうからじわじわ雲がせり出してきていて、時間が経つと雪の山は見えなくなった。

持って来た御節をつまんでいるのをたまに見ながら、外を見ていた。筑波山の上には大きな月が見えた。

祖父とは他愛の無い話をした。仕事がどうだとか病院のご飯はどうとか看護婦が厳しいとか。祖父は病気をしてから伏し目がちになった。

 

祖父は病院で特に何もしていないらしい。主に寝ている。

本やらテレビやら時間を潰すものは沢山ありそうなものだが、何もしていない。

というのも、何かをじっと見ていると涙が止まらなくなるらしい。涙は正常に出るらしいが、出た涙を吸収する管か何かが詰まっていて、瞳からこぼす以外に無いという。拭けばいいのにと言うと、目の周りが爛れるから嫌だと言う。

「年をとると涙腺が緩くなる」とはよく言うが、実際は排出する管が老朽化しているのではないかと、そのとき他人事のように思った。

祖母の脳と記憶は一瞬で瓦解したが、祖父はまだ問題なさそうである。

 

生きているのは大変だ、と見舞いに行って思った。

独り身だと老後が心配という人がいるが、祖父母の現状を見ると看病してもらうことに自分は引け目を感じる。そして老後のためにと残していたお金が、一瞬で病院に吸収されていくのを見ると、歯がゆい気持ちになるだろうと思う。

人倫を無視して、70になったら死ねる制度の整備が急がれる。きっと刹那的に景気も良くなる。

 

ものすごい量のカラスが飛んできて山の方に行くと、暗くなるから早く帰りなさいと言われた。帰りも月がとにかく大きく見えた。

 

 

今日は手ぶらで仕事に行ったら気分が良かった。おやすみ。