失われたDVDをもとめて
西日がまぶしい帰路を原付で爆走しているとき、ふとNTRについて考えていることに気づく。西日も帰路も原付も、どれも彼女と結びつくものでは無い。
だいたい、なにも考えていないときは勝手にそれを考えているのだ。
今日は、明るいうちに自宅に帰ってきて、ぼけーっとDVDを見ていた。
そしてとんでもないことに気づいてしまったのである。
「自分は彼女が浮気セックスする直前まで見ていたDVDを知らない」
というのも、自分は、彼女が別れる以前に性行為に及んでいたと彼女自身に告白された。自分の常識からはかなり外れている行いだったので、どういう風にそれに及ぶのかを興味深々、眼を輝かせてそれを聞いた。
すると、友達の家で3人でDVD鑑賞会をし、1人がバイトで帰ったあと、ベットに誘われたのだと教えてくれた。性行為に至るまでの科白も話してくれたが、文字通り筆舌に尽くしがたい。
そのタイミングでしか、見ていたDVDの名前を聞けなかったとメチャクチャに後悔している。いま最も知りたいDVDナンバーワンである。興味津々。ちてき好奇心マンだ。
もう話せる状態ではないので、自分から聞くことはできない。だが、いま彼女と話すことができるなら、真っ先に聞く。それほど猛烈な好奇心を寄せている。
いつか、自分が彼女が浮気セックスの直前に見ていたDVDを見て、感動している可能性が有る。クソだな~と思ってる可能性もある。
答え合わせができないのは、とてつもなく悲しい。
「あいまいにあまい愛のまにまに」そんな境地には未だ達せず。
昨日はプルーストの誕生日だったらしいので、タイトルを寄せてみた。
『失われた時をもとめて』を読破できる人を単純に尊敬する。
カブトエビはまだ孵らない。風邪も治らない。
虹のこと
情けない週末だった。自分の町から一歩もでていない。
映画を見に行くにも、美術館に行くにも、基本的に男には声をかけない。うちなるホモフォビア...というよりもむしろ、女の子に合法的に声をかけられるタイミングがそれぐらいしかなく、そのチャンスにしがみ付いている。
暇で鬱になりそうだったので、いつか作りにいった「ビンに水草入れるやつ」をヴァージョンアップした。
アヌビアス・ナナというベタな水草である。また休みが来たら小さいエビでも買ってきて入れようと思う。
もう一つ、むかし友達にもらった「エビ伝説~生きた化石飼育セット」を組み立てた。
上手くいけばカブトガニが孵化するらしく、かなりワクワクしている。貰ってからだいぶ経ったけれど、人生で1位2位を争う気の利いたプレゼントだと思う。普通に1位かもしれない。とにかくちゃんと孵って欲しい。
借りてきた映画を見た。「モアナと伝説の海」と「ホドロフスキーの虹泥棒」。原題は「The Rainbow Thief」で、エンディングの安い虹がたまらない。Rainbowの語源は明らかに雨+弓だ。不思議に思うのは、虹の名前に色彩への特徴が皆無なことである。雨+弓を繋げることで、音韻的にはなんとなく虹の感触が出ているかもしれない。虹の色は地域によって違うというが、英語の原型となった言語圏では、虹は3色くらいなのだろうか。実際に海外で虹を見てみたい。それとも、虹が命名されたころ、虹に負けず劣らず世界が極彩色だったか。それなら虹の名前に色彩的な特徴がないのもうなずける。
自分の毎日が灰色すぎるのが悪い。明日から仕事。鼻水止まんねえ。おやすみ。
回れPDCA回れ
タイトルは、「まわれ!PDCA」と迷った。
「まわれ!PDCA」は高校バレーの女子マネが主人公のライトノベルです。女子マネがPDCAサイクルを回してPDCAハリケーンを起こすことで服が破れます。
だいたいタイトルが決まると日記を書き始める。
PDCAサイクルという言葉は、社会人になると研修で教えられる。
まず社会は、PDCAサイクルが回らないことをPDCAサイクルで改良するべきです。それこそPDCAを回すことの意味を示す、最良の方法ではないでしょうか。
PDCAがまわらない理由をPDCAを回せば解決できないということは、PDCAが回らないPDCAが回っていないということで、それをPDCAを回して解決すべきです。
こういうのが好き。延々と廻るサイクル自家中毒。
そういえば、昨日外部でもらった資料には、
P(plan)→D(Do)→S(See)→A(Action)→P.....
と書いてあった。
PDCAサイクルには提唱者がいるので、どっかのアホがPDSeeAサイクルと間違えたのだと思う。
机にガリガリ噛み付いて計画を立て、ヘルメットを被って爆破、見つめる、踊りだす。そしてまた計画を立てる。そんな一連の印象を受けた。
こういう風穴みたいなものも好きである。つまらない一日の潤いである。
今日は吐くほど餃子を食ってきた。食べ過ぎると下痢をする。おやすみ。
なぜ、同性愛者は障害者でないのか
少し前に、こんなツイートがタイムラインに流れていた。
ある同性愛関係のセミナーで参加していた一般人が、最後の感想として、「身近にそういった障害を持つ人がいることがわかってよかった」といった。いや、同性愛は障害じゃないというセミナーだったのだけど...と別の参加者(主催者?)
という感じのもの。多くの人がそれに賛同し、拡散していた。
セミナーの内容はわからないはずなのに、どうして素朴に「同性愛は障害でない」ということに賛同する人がこんなに多いのか、とても疑問に思った。
「制度として、同性愛は障害として認定されていないから障害ではない」ということで同意しているのなら、まだわかる。
だが、そんなことすら考えずに、同性愛者は障害者ではないという信念のようなもので同意しているようにしか見えなかった。
なぜ、同性愛者は障害者でないのか?自分は良くわからない。障害者という言葉が、「生きていくことに障りがある人」という意味の言葉だとすれば、同性愛者には障りが山盛りだろうと思う。主に社会的に。社会的な障害であれば、障害に感じている人たちに落ち度は無いので障害者ではないということなのか?それとも、セクシャリティ以外はマジョリティとなんら変わらないから障害者ではないのか?身体的に障害がある人も、身体の一部以外はマジョリティとなんら替わらないので障害者ではないのではないか?障害者であるか障害者でないかは、結局制度的に決まると言わざるを得ない。だとすればやはり、同性愛者は障害者ではないといえる。真にバリアフリーな社会であれば、障害者など一人もいない。理想論だが、実際そうだろうと思う。きっと上のツイートに同意した人たちも、素朴にバリアフリーを望む人たちなのだろう。そう思いたい。
あまりに、あまりに雑文。なにも無い。ゴミだ。もっとマシな話になるはずだった。頭が悪い。
シャンプー・ハットに思いを馳せるとき
最近、寝ぐせ対策にリンスを使っている。
髪になじませているあいだに洗顔をするのだけれど、洗顔剤を取っているときとかにリンスが目に入ることがある。そして、シャンプー・ハットを思い出す。
シャンプー・ハットは今もあるのだろうか?久しく見ていない。ただ、なくなるわけはないとも思う。親子が仲良くお風呂に入っているというイメージには必ずでてくるアイテムである。
シャンプー・ハットの存在理由は、きっと子どもの目にシャンプーが入るのを避けるためだろう。だとすれば、シャンプー・ハットを使うタイミングというのは、実はかなり少ないのではないか。
それが必要なのは、子どもに「目を閉じて」といっても伝わらない幼児で、髪の毛の生えている時期。子どもが少し大きくなって、自分で髪を洗うようになる時期。
必要なのは上の二つくらいだと思う。しかし、シャンプー・ハットがあれば、子どもは髪を洗ってもらっていても目を開けていられる。鏡で、親が自分の髪の毛を洗っているのを確認できる。
必要に迫られた用途ではないけれど、重要な役割のような気がする。おやすみ。
「ノー残業デーに残業をする理由」を書く理由
日付が変わるまで残業していた。
総務に「ノー残業デーに残業をする理由」を提出しなければならない。
見積もりがいつまでも上がってこなかったのが原因である。4日くらい前から「明日出す」といって今日まで出なかった。そしてその見積もりが雑すぎて使い物にならなかった。金にならないし、出す気が起きないのも仕方ないか。
学生時代のレポートの提出を思い出す。だいたい期限をすぎて提出したレポートは、ろくなものではない。受理されるされないに関わらず、単純にできが悪いのだ。懐かしい。
時間外にトマトに水をやりながら、上司や先輩と話す時間は結構好きである。残業がなくても職場には1時間くらい余計にいることが多い。
時間外に職場の人とあまり関わりたくないという人は結構いるらしい。それももっともなことだと思う。
自分は、あと40年近くいることになる職場で、悪い印象を持たれたくないという保身をしている。悪い印象を持たれる理由が、政治的に正しいか正しくないかは別として。
仕事に関して流動性の少ない社会の状況はきっと良くない。自分も職場に居づらいのは嫌なので、慣例に従って保身をしている。別に辛くはないのが不幸中の幸である。
思ってもいない志望動機を書いて、仕事が嫌でやめるなんてことになったら嫌なので、人生でエントリーシートを1枚しか提出していない。
携帯で書くとどうも散漫になってしまう。お湯に左手を入れてしまったので終わります。おやすみ。
楽しい食事
仕事を7時に切り上げて、2人の友人と食事をしてきた。
新しくできたラーメン屋に行ったのだけど、ごくごく普通の二郎インスパイア系で新鮮味のかけらもなかった。おそらくもう行かないと思う。
自分はどちらかといえば痩せ型だが、飯は結構食べる。大盛りの野菜マシを頼んだけれど余裕。摂取したカロリーはどこに行くのか。食う割りには肥らない。もう少し年をくったらカロリーに逆襲されるような気がする。
友達の家に転がり込んでカエルを見て、コーヒーを飲み、貴族探偵の最終話を見て帰った。
カエルは4日ぶりの食事ということではしゃいでいた。彼女はアフリカツメガエルのアルビノで、とにかく愛らしい。
アフリカツメガエルは水生のカエルである。普段はプカプカ浮いている。それか水の底でじっとしているだけで、息が辛くなると慌てて水に顔を出しで空気を吸って、またプカプカする。
おそらく食事のときに最も活発に動き回っている。食事のためにエネルギーを蓄え、食事でエネルギーを放出する。素晴らしい生物だと思う。
ぼーっと見ていられるこんな生物を飼いたいと思う。
コーヒーは薄かった。貴族探偵は普通だった。みーちゃんが毛づくろいをしている。
良い一日だったと思う。おやすみ。