全部全部雑記

思ったことを恥ずかしげも無く

ラブソングを歌ってくれ

やはり週末は何もしなかったけれど、踏んづけた眼鏡の角度を直すためにショッピングモールにだけは行った。

この前ZIP!でaikoがアルバムを出すというのをやっていたので、ショッピングモールにあったタワレコでそれを買ってきた。大きなポスターがおまけについてきて、若者の部屋に飾ってあるポスターはこうやって入手しているのかと納得した。

 

aiko歴はアルバム「彼女」が出たころなので、中学生くらいから聴いていて、もう10数年以上になる。ここまでラブソングだけを一生歌っていられる歌手というのもそうそういないだろう。

 

ラブソングが好きだ。恋だの愛だのの言葉でつくったストーリーを、声と音とリズム(=ノリ)でなんとか納得させてくれること。これがラブソングの最大の魅力だと思う。

普段のノリがあまり無い自分にとって、ラブソングはある種の憧れなのであって、歌詞に共感しているわけでは決して無い。

だから、噓くさい歌詞は、ノリと歌唱力がよっぽどじゃないと聴けない。自己啓発系の歌なんかがそれである。

歌手にはラブソングを歌ってほしい。夢を見させてくれ。

 

ノリの強弱の好みにも個人差があって、だからこそ、ずっと聞いていられる歌手が人それぞれ違う。aikoは自分に合った歌詞とノリと声となのだろうと思う。自分はドリカムとかを聴くともうムズムズして仕方ない。

 

ノリが欲しい。おやすみ。

臨月

大学院の先輩が臨月だという。無事に出産されることを願うばかりである。

臨月とは、(出産に)臨む月なのか、月を臨むことなのか。両面的でどこかアンニュイな熟語である。

 

高畑勲が亡くなって「かぐや姫の物語」を再放送していた。

見ればわかるように「かぐや姫の物語」は、いわば「女性の物語」である。「マッドマックス怒りのデスロード」的なコテコテのフェミニズム(再生産機能の奪還)とは異なり、「かぐや姫の物語」は、生への希求というアンビバレントなものである。

社会的な価値観の押し付けで、姫は精神的に不安定な状態になっていく。「かぐや姫の物語」で作画も含め特に印象的な疾走のシーンや、桜のシーン、庭を破壊するシーンなど、その精神的な不安定さは目白押しである。

竹取物語を知っている我々からすれば、月を臨み、月に帰らなくてはといい始める姫の言動は、予定調和的であるが、竹取物語を知らないならば、その唐突さは、むしろ本格的に精神的に異常をきたしたのかとさえ思われる。

精神的に異常をきたしていたと読んでいくならば、姫は都の人が寝静まっている間に死んだと読んだとして、おかしくはないのではないか。姫が、月の世界は「喜びも苦しみも無い世界」的なことを言っていたが、これはまさに解脱の境地であり、迎えに来た月の人達のボスは、仏的な何かであった。(この映画の印象的な挿入歌「わらべ唄」はアンチ解脱のテーマソングである)

当時の人々にとって、月へ帰るとはどういう意味だったのだろう。まだ地動説のちの字すら出てこない時代に、月が本当に居住できる場所だとは考えてはいまい。遠い別世界くらいの感覚であったと想像できる。姫は月に逝ったのである。

かぐや姫の物語アンビバレントなのは、本来的な生への希求というテーマがあり、女性に絡みつく社会的なしがらみが、それへの阻害要因となっている点である。

 

何が言いたいかというと、早く寝ようということである。

おやすみ。

眉のこと

 

髪を切りにいったら、高校生か聞かれた。高校生だったのは10年くらい前の話で、失礼である。

やはりどこか風格にかける顔つきをしている。痘痕面なのも悪い。眼鏡もいけないのかもしれない。人生経験も薄い薄い。

 

鏡の中の自分がカッコよく見える人種が一定以上いるらしい。

カッコよく見えていたとしても不細工は不細工なので、自分はどうしようもない。

鏡を見て思うが、自分の顔は眉と目が離れすぎていると思う。

テレビに出ている人達はどうしてあんなに眉と目の距離が近いのか。目と眉が離れている女の子と、この感情を分かち合ったことがある。

 

そもそもなぜ眉毛とかいう毛が特定の場所に恒常的に生えて来るのかという疑問が湧く。

頭髪や腋毛、鼻毛や陰毛に比べて必要性が薄い。ヒゲも必要ないっちゃ無いが、女性は比較的生えてこない。眉毛だけが異常である。

進化の過程で毛が生えなくなっていくなか、眉毛だけ残っていったのには、きっとそれなりの理由があるのだろう。表情でのコミュニケーションに眉の毛は重要だったとか、適当な理由がつけれられそうである。

調べたらそんな研究がありそうな、至極普通な考えなので調べないようにする。

もっと楽しい妄想がしたい。おやすみ。

風邪

猫に布団を取られて風邪を引いた。

寒さで目が覚めると、厚い毛布は猫の座布団になっていた。

いつも一緒に寝ているとこういう日もある。

 

風邪が治っても鼻水が止まらないので、どうやら花粉症も併発したようで、やっかいである。田舎者なのに花粉症なことにちょっとした恥じらいを覚える。田舎と花粉症になんの関係性もないけれど。

大気中に花粉が満ち満ちているのが不思議で、花粉が濃いところと薄いところがあるはずとマスクを外して探る夢を見る。

 

ブログを始めたときのコンセプトが毎日更新だったが、下手すると季刊になりそうな更新頻度で悲しい。

今週末は久々に東京にふらふら遊びに行ったので更新。明日書こう。

起伏

1月の2週目の週末から4週連続でスキーに行き、3連休を溶かし、先週は登山をしてきた。

大学のサークルぶりなので、かれこれ3年くらい山を歩くことは無かったが、久々に登ると楽しいもので、また行こうという気になってくる。晴れていたのも良かった。

社会人なので装備もキラキラなものを買える。

 

一緒に行った人は、昨年の秋くらいから登山を始めて、先週くらいまで毎週末かかさず山に登っているというツワモノであった。だったっぴろい関東平野を行ったり来たりしている毎日では疲れるから、山にも登って一汗かきたくなる。

つまり起伏が欲しいのだ。

自分も今年から、なんだかんだで毎週末ほとんど山にいるので、よほど起伏を欲している。大学に入ったときから起伏を欲していたともいえる。

最近はそれはもう平坦な毎日で、体重が増えに増え、お腹周りなどひどいもの。これは体重計のバグだと思うが、69.9kgあった。豆乳なんて買ってみて、運動を始めようという話をしている。これ以上醜くなると目に毒。涙が出る。

 

 

字義を雑に考えれば、起きて寝れば起伏といえるかもしれない。われわれは毎日起伏している。それに満足できる幸せな人間になりたかったと思う。

 

備忘録:昨日歯磨き粉を替えたら美味しかったが、今日はそうでもなかった。

おやすみ。

肉じゃがのじゃが

たまに450円の仕出し弁当に、肉じゃがのじゃがが入っている。

明らかに肉じゃがの味なのに、じゃがいもしか入っていない。

肉じゃがのじゃがが気に入ってしまって、入っている度に先輩に報告している。

「肉じゃがのじゃがが入ってます!肉じゃがのじゃがが!」

 

とにかく、肉じゃがのじゃがが言いたいだけである。文にすると読みにくさが酷い。

意味がわかるのに語感が素晴らしい。こういうナンセンスが好きだ。

PPAPは上質なナンセンスで個人的に高く評価していた。

いつのまにか、なにかを適当に二つ合わせる芸になってしまって残念。

 

今日は肉じゃがのじゃがが言いたかっただけです。おやすみ。

 

実績報告

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今日は生頼範義展に行ってきた。上野の森美術館が混んでいるのをはじめて見た。外国の方も散見された。

スター・ウォーズゴジラの映画ポスター、小松左京平井和正小説のカバーイラストなど、戦後のサブカルチャーを下支え(牽引)してきた、重要なイラストレーターである。

のんが音声ガイドだったので思わず借りてしまった。ちょっと舌ったらずで可愛かったです。

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 カバーイラストを描いた本がタワーになっている。4面全てが本でぎっしり。これだけでも驚くべき仕事量である。『ムー』や、今は亡き『SFアドベンチャー』など。

後ろに見えるポスターも写真撮影可だったが撮ってくるのを忘れてしまった。

ゴジラvsビオランテ』の映画ポスターが良かったのだが、図版に載っていなかった。残念。

 

油彩のイラストレーションなので、やはり生で見るのと、図版やインターネットで見るのとは印象が違う。行ってよかったと思う。

 

 

土曜日はハンターマウンテンでスキーをしてきた。

天気はよかったけれど寒かった。そしてとにかく混んでいた。雪も良くなかった。

初級者から見ると上手く見えるが、上級者から見ると下手という、まさに中級者の状態で頭打ち状態。今年はスキルアップを目指す。

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充実してたのでよく寝れそう。おやすみ。