全部全部雑記

思ったことを恥ずかしげも無く

職場に舞い降りた

自分の職場はフロアに女性が4人しかいない残念な職場である。あまりの男性社会で昭和かと思う。我が課には正式な職員の女性が一人もいない。しかし、非正規の女性職員がいる。

この方がとても可愛い。人妻である。

 

自分は職場の庭で果物やら野菜やらメダカやらを育てているが、時間外にもかかわらずお手伝いをしてくれる。そしてこっそり果実を採取して持ち帰っている。

メダカの甕に近づいて、メダカが水面に上がってくるのを見て、「きっとお腹がすいてるんですね」といって山ほどエサをあげる。メダカのお腹が膨らんでいるのを見て「きっと赤ちゃんがいるんですね」と言う。

 

今日、休み明けの職場に行くと、メダカが1匹死んでいた。手ですくってお墓を作りました。

おやすみ。

月一更新の男

踏切のカンカンカンカンカンカンという音が、点滅するライトと合っていないのは気持ちが悪い。踏切が下りている場所はどこでも微妙なズレがあって、今も踏切が鳴っていると思うと嫌な気分になる。

僕が職場で育てているトマトが、今も細胞分裂を繰り返して、生長している。

トマトは自分の背丈を超えた。

 

久々にパソコンを開いてキーボードを叩いているけれど、このパソコンのキーボードの具合は最高です。職場のパソコンはキーが高すぎて疲れてしまう。

このパソコンは6年以上使っているので、ちょっと動作が遅くなってきた。

薄給で借金もあってお金は無いので、動く限りはこれを使おうと思う。

 

今月は毎週待末東京に行っている。

先々週は連敗続きのジャイアンツを応援し、お台場でBBQをして朝までスポッチャという元気な大学生コース。先週はバベルの塔を観に行って、「怪物はささやく」を観た。

書けることは沢山あったけれど、パソコンが開かなかった。

 

今日はナオナカムラで「知恵をcray」

www.tokyoartbeat.com

中央本線画廊で「怪獣と迷宮」を観てきた。

中村紗千 個展『怪獣と迷宮』 – 中央本線画廊

 

関優花のパフォーマンスがエロかった。彼女はTAをしていた授業の学生だった。

100kgのチョコレートを自分の体重と同じになるまで舐めとり続けるというもの。体重計にチョコレートと彼女の体重が表示されているが、写真には写らなかった。

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薄暗い部屋、部屋に充満する甘い匂い、屹立する巨大チョコレート、それが唾液でテラテラしている。

自分はフェミニスティックに読んだ。

 

なるべく毎日更新する気持ちでがんばりたい。仕事は平々凡々である。それがパソコンを開かない原因のひとつかもしれない。

おやすみ。

好きな星座

眼鏡をかけても目が悪いので、星は良く見えない。

カシオペアとかオリオンも形がはっきりとわかっていない。天体についてはかなり疎い。だけど、好きな星座がある。

それは「かみのけ座」という星座である。どこにあるかは、やはりわからない。

 

ちなみに形も知らない。かみのけ座というありえないほど短絡な名前が好きだ。誰だってそんなバカなと思う名前だと思う。

もともとは誰かの髪の毛だったのだろう。「だれだれの髪の毛座」だったものが、なにかの拍子でだれだれが抜け落ちて、かみのけ座になったのだと思う。もしかしたら、かみのけ座という名前なのは日本だけかもしれない。でも宇宙に出てしまえば、誰の髪の毛だって同じでしょう。

 

自分は黒髪の種族なので、星と星をつないだときに見える線は全部「かみのけ座」に見える。つまり、かみのけ座のありうる数は(星の数)*(星の数-1)で、文字通り天文学的数字である。かみのけ座が、星と星と星を繋いでできる星座だと考えるならば、さらに×(星の数-2)で、無限に続くかみのけ座を見るならば、星の数の階乗である。さすがにかみのけ座も絡まりそうである。近い星同士を繋いでいるくらいが丁度よいと思う。実際は何光年も離れているのだろうけど。

星と星を繋ぐ強靭な髪の毛を思う。そこをロープウェイが走る。

 

そんなかみのけ座が好きである。明日はちょうど髪を切りに行くので寝ようと思う。おやすみ

未来世紀ブラジルかよ

社会人初の一週間が終わった。

なれないことばかりで毎日疲れて帰ってくるのでブログの更新はサボってました。慣れるまで不定期になると思われます。

 

仕事はといえば、研修を終えて、えげつない量の書類を処理しまくっている。今日休みだった先輩の机は書類の山ができていてかわいそうだった。この書類処理ゲームをしていて、「未来世紀ブラジル」のリアリティを感じた。

同じ課には同期がいない。そもそも同期が少ない。同期は上手くやってるのかな?来週飲み会でも開いてみようと思う。お酒飲めないけど。

 

上司も他の課の先輩方も優しくしてくれて、この職場で良かったと思う。家近で、転勤ないってのがホントに幸せ。残業しても帰り道にさらに疲れることもない。ちなみに残業は繁忙期には結構あるらしい。といっても残業代はつくし、帰ってきてもそんなにやることないので、適度に残業したいとすら思う。

良い睡眠のために、寝る前は携帯とかパソコンとかを開かないようにして、1時間ぐらい本を読むようになった。学生のときより健康かもしれない。

明日は映画でも見に行こう。東京に出よう。

スーツの切れ端なんて、いらない

明日から新社会人で、この一週間殺伐と充電していた。ブログもサボっていた。

今日は社会人に必要そうな手帳とか整髪量を買いに、ちょっと遠くのショッピングモールまでドライブした。東京の桜は満開らしいけれど、このあたりは五分咲きくらいだと思う。今日は地元の桜祭だったけれど。なんだかんだの距離を感じた。

大きなショッピングモールのLoftで細々した買い物をしてから、ぶらぶらモールを歩いていても、買いたいものがなにもない。タワレコの前にあった100円を入れるとチョコが出てくるやつでチョコストーンを買って、その小さいコップを持って車に乗った。とにかく今日、石に見えるチョコとかいう、ふざけた菓子を無性に食べたくなった。今日なら文字通り、死ぬほど食べれたと思う。いくら100円を入れたら、あのガチャを空にできるのだろう。

今日は頭の中で、ずっと修二と彰の「青春アミーゴ」がながれていた。♪SI-SIお〜れたちはいつで〜も……

 

明日はスーツを着て、朝8時に家を出る。スーツのポケットになぜか入っているあのスーツの切れ端は、抜いてから行こう。

おやすみ。

散髪

髪が伸びてくるとうっとうしくなってすぐに切ってしまう。エロいとすぐに髪が伸びるんだと小学校のときに女子に言われた。そうかもしれない。

うっとうしくなってくるのは実際そうなんだけど、切るたびに違和感を覚える。髪が長いほうが似合っているというか身の丈にあっているような気がするのだ。鬼太郎くらい髪が長いほうが、なにか落ち着くと思う。

床屋にいくと絶対眼鏡をはずされるが、目が普段より見えないせで鏡に映る自分の顔が余計に不細工に見える。お金を払って髪を切ってもらうのが申し訳なくなる。どんな髪型にしても無駄を感じる。

さらば髪の毛たちよ。

 

ミュシャ展についてで書き忘れたことを。

一番気になった絵は、「ハーモニー」だった。絵というよりキャプションが気になったのかもしれない。こんな感じだった。

「〈理性〉と〈愛〉の間で〈調和(ハーモニー)〉をもたらすのは〈英知〉であるというミュシャの思想が反映されている。」

ミュシャ展 アール・ヌーヴォーの華 | 企画展 | 長崎県美術館 (ハーモニーの縮小版あり)

前半はなんとなく言いたい事がわかる気がする。だけど〈英知〉ってなんだろう。「ハーモニー」の中心で手をかざしている人物が〈英知〉氏なのかは不明だけれど(そう見える)、ソフィアの訳語として英知があるならば、女性で表現されるのでは?複雑だ。

自分は露骨にハーモニーを欠いているので、〈英知〉氏の出現を頼りにしている。

充実した週末

週末は充実していた。ひるがえって、今日の充実してなさといったら無い。弟も風をひいてモンハンができなかった。そして寒すぎていろいろ無理だった。溜まっていた録画を処理した。旅行帰りに帰ってきて楽しみなのは、意外と録画の溜まり具合だったりする。旅行なんてしてないんだけど。

 

だから日曜日のことを書きます。日記といいつつ前日の話を書いているのはしょうもない。

日曜日は友達と遊びに行った。一つ目は、ユーラシアフェスという日本ユーラシア協会が主催する会。この協会は旧ソ連諸国との交流を深める目的らしい。ちょっと値段設定がお高くて、学生上がりの自分には何一つそれっぽいものが買えなかった。なので比較的安かったソ連のバッジを買ってきた。右にいるのは子虎のチャンドゥ。ディズニーシーでゲームに負けたときに貰った参加賞である。なぜ1922-1972年なのか調べても良くわからなかった。

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二つ目は、東京新美術館でやっているミュシャ展。東欧まみれだ。

〈スラヴ叙事詩〉という20点にも及ぶシリーズものが目玉で、あまりにカンヴァスが巨大で驚いた。美術館の天井まで届くサイズで、図録によればだいたい高さが6m、横が8m。

この一連の〈スラヴ叙事詩〉は、スラヴ民族という、曖昧なはずの民族の「ルーツ」みたいなものを再編していく作業だろうと思う。時代的に見てもおそらく。本当に困難な作業だったはずで、さらにその選び取った物語を見てきたかのように、細密に描写しつつ、迫力ある構図で、美しく描けるのは凄い。小学生並みの感想すぎる。

〈スラヴ叙事詩〉には、こちらを見つめる暗い眼をした人々が散見される。迫力がありすぎて眼を背けてしまいそうになる。スラヴ民族の物語を美しいだけで終わらせようとしない意図を感じた。野暮かもしれない。図録にもっと良いこと書いてないか読み込んでみようと思う。

日本でも戦前は、こういった民族を見直す絵画というのは流行っていたということを思い出した。これは日本文学の授業で学んだ。有名な画家でいえば青木繁などがそうで、「海の幸」は教科書でよく見る。「わだつみのいろこの宮」を授業で扱った。日本には『古事記』や『日本書紀』などの創世記があるし、島国なので国境もわかりやすい。スラヴよりは簡単だったろうと思う。〈スラヴ叙事詩〉は舞台になっているのが東欧全域らしく驚く。東端はロシア、西端はオランダ、南端はギリシャで、この地域以上に国境が目まぐるしく変動する地域を知らない。ただの不勉強かもしれないが、東欧にはそういった印象がある。

たまたまユーラシアフェスを見に行って、そしてたまたまミュシャ展を見たが、深い関連を感じて不思議である。

 

三つ目は渋谷のシアターフォーラムで「人類遺産」という映画。

自分にはビターすぎる映画で結構寝てしまった。廃墟の映像が定点カメラで淡々と写されていく。2分くらいで場面が切り替わる。海外の監督作品だが、福島や軍艦島など日本も登場していた。

人間がいなくなった世界は、草とか鳥とか塵とかが生きていて、別に人間滅んでも問題ないなと思った。逆に、生きている場所を廃墟にしないために、人間があくせくしていると思うと空しくなる。希望が欲しい。

廃墟はそれだけでスペクタクルだと思う。なので、もうちょっと物語が欲しい。映像美だけで楽しむという楽しみ方はちょっと自分には早すぎると感じた。

 

もうちょっとで仕事始まるし、遊ばないと。おやすみ。