全部全部雑記

思ったことを恥ずかしげも無く

怒り

あまり怒るたちではないが、唐突に激しい怒りが湧くときがある。

頭を上げたときに、どこかに頭をしこたまぶつけたとき。イヤホンをどこかに引っ掛けて、耳を引っ張りながら抜けたとき。このときほど、怒りが生理的に湧くものだと痛感することはない。

あくまで怒りが生理的に湧くものであれば、その基準は人に寄ることになるので、何かに常に怒っている人たちがいるが、そういう人たちは怒りの沸点が低いだけに過ぎない、と見なさなければならない。そういう人たちとはあまり仲良くなれないのだけど。

基本的に、人に対して怒りを覚えることはない。怒らず、悲しくなるだけである。そういう感情を悪く揺さぶる人たちとはなるべく早く距離を取るに限る。職場にそんな人いなければいいなあ。

子どもができたら

図鑑を買ってあげたい。

『21世紀子ども百科』は僕の愛読書だったし、昆虫図鑑で外国の昆虫のページを怖いもの見たさでよく見ていた。

東京ブックフェアに行くと、教育出版関連の意外な大きさに驚くが、本の見本市として図鑑以上に良い展示物は無いだろう。

 

小さい頃に絵本を読んでもらった記憶はほとんどないのだが、やはり奥さんと一緒に子どもに絵本を読むビジョンは僕にとってかなり甘いものだ。子供に読み聞かせたいというよりも、自分がそういうことをしたいのである。

2人で読むように、役割分担しやすい絵本とかあったら売れると思うんだけど、どうだろう。

 

いや、彼女すらいないんだけどね。こういうところがダメなんだろう。おやすみ。

 

 

 

静電気について

この時期、猫をかわいがっていると静電気がよく起きる。

猫的には静電気をどう思っているのだろうか。どうか僕がひどいことをしていると思わないでいてほしい。

 

暗い中、頭を毛布で擦ったりすると、静電気がバチバチなって光るのがわかる。

材料は、毛布と頭に生えている髪の毛だけ。単純である。古代人でもできる。

光も火もない時代に、始祖の人間が静電気の発生方法をみつけたときに、どんな反応をしただろう。暗い中頭を擦って、古代に思いを馳せる。そんな一日だったのである。

ケモノ

けものフレンズが流行っている。アプリでちょっとやったがキャラはたしかに可愛かった。アニメは一話だけ見た。

 

ケモノで思い出したのが、去年の新潮に掲載された手塚治虫のエロティカ。エロティカというと聞こえがいいが、要するにエッチな絵である。

手塚治虫の(おそらく)自分用のエッチな絵が、開かずのロッカーから発見されて掲載に至ったらしい。ムゴすぎる。

新潮 2016年 12 月号 [雑誌]

新潮 2016年 12 月号 [雑誌]

 

 表紙からわかるように、女体化したケモノ(ケモノ型の女性)の絵は手塚治虫にとっては、性的な対象になり得た。自分はケモノ型にあまり興奮しないのだが、そのエロさはわかる。自然=女性という認識はいまでも存続しているし、第二波以降のフェミニズムが示したのは、それが文化的な構築物でしかないということであった。正しいと思う。だけど女性=自然という認識がエロいのは仕方ないことだとも思うのだ。

数点掲載されている絵の中に、女性が別のモノに変化していく絵があったが、これはどストライクだった。自分が性的に興奮していることをはじめて認識したのは、そういったものだった。具体的には、「それいけ!アンパンマン リリカル★マジカルまほうの学校」である。今見ても興奮できる自信がある。

 

自分の性癖がノーマルだと微塵も思っていないので、人の性癖について、とやかく言う筋合は常に無い。そして言われる筋合も無いはずである。

具体的な誰かを傷つけないかぎり、どんな性癖も許されて良いと個人的には思うし、それに関する表現を規制するべきでないと思う。

なんで成人女性に興味があって、幼女に興味がないのか?

なんで恋人以外と性交することがインモラルとみなされるのか?

自分たちを普通と考えている人たちがどんなセックスをしているのか知りたい。自分にはその人たちがどんなセックスをしていても奇怪に見える。

書いていて、露出癖があるかもしれないと思いました。終

 

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 今日読んだ本

昆虫の誕生―一千万種への進化と分化 (中公新書)

昆虫の誕生―一千万種への進化と分化 (中公新書)

 

 この前日記を書いて、本格的に気になったので読んでみた。

昆虫の網・類・目が体系的にシステマティックに知れる良書(?)

あまり昆虫関連の本を読まないので断言はできない。そしてちょっと古い。

ステマティックに語っている分、読み物としてスリリングさはない。しかし、それを補う魅力的な図説と、目の横の関係などの解説で十分楽しく読めた。

外で昆虫を見て、「これは~類だね」くらい言えるような大人になりたい。

木を隠すなら森の中

言いたいことは良くわかる。けど、木なんて隠そうと思うだろうか?

このことわざは西洋からの輸入品ぽさを感じる。

このことわざを思い出したのは、昼ごろ、航空機の存在を示す、やたらチカチカする明かりが移動していたからだった。

僕が視察用の宇宙船を作るなら間違いなく、航空機の明かりに似せて光らせると思う。科学が発達している生物のいる星ならば、そういった照明が一般的にあると推測できる。おそらく。宇宙船を隠すなら航空機の光。

 

仮にUFOが存在するとして、一般人が撮影できるとは到底思えない。UFOものの映像には見えないはずのものが見えてしまうという窃視的な欲望があるように思う。UFOモノ、心霊モノが大好きな僕の、あまりに適当な自己省察である。おやすみ。

蝶が超苦手(3)

蝶が苦手な話から、生物の進化の良くわからなさ、そして神の導入へと飛んできた。

この科学の時代に、進化になぜ神を導入たくなってしまうのか。

畢竟、人間には果てしない時間の流れがとらえられない、これに尽きる。

人間のどう頑張ったって100年ちょっとの短い生涯で、地球64億年の歴史を理解しようなんてそもそも無理な話ではないか。知識として動物の進化について学ぶことはできる(ように思われる)が、理解するとなると話は別である。なんで蝶の翅に眼がついてるのか?これに進と答えることはできるかもしれないが、結局理解不能のままだ。自分の頭が悪いとは思いたくない。

電車の座席にいる7人の寿命が仮に60だとしても、縦に並べれば420年というのは、吊革に掴っていていてよく思うことだ。それがどうしたという感じだが、こう考えると2000年などアッという間な気がしてこなくもない。

だけどやはり、概念的にとらえられることと理解できることは 全く違うと思うのだ。

そもそも膨大な数が理解できているのか、甚だ疑問である。64億という数字など、64に0を沢山つければいいわけだから難しくもなんともないが、具体的ななにかとして認識できるわけでは決してない。実体として理解できる数は、僕はせいぜい100くらいまでな気がする。それ以上になると概念的に処理してしまうだろう。両手の指10本で100を数えるのも意外と難しい。メディアってありがたいなあ。

 

以下、政府広報の「種の保存法」の存分に啓蒙的なページから。図としてわかりやすい。

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希少な野生生物を守る 「種の保存法」:政府広報オンライン

人類の歴史は、地球の歴史を1年と置くと、12/31の終わりのほうであるというのは良く聞く話で、わかりやすい。シーラカンスなんかは先月から形が変わっていなくて凄い。

釣ってみたい。

 

以下のページも面白い。

地球カレンダー 46億年の歴史を1年で見る・21世紀の歩き方大研究

キリストの誕生は12/31日の午後11時59分46秒。普通の年末ならカウントダウンにわくわくしている頃でしょう。といっても地球の歴史が長くなればなるほど、キリストの誕生は過去に遡っていく。

 

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シャボテン幻想 (ちくま学芸文庫)

シャボテン幻想 (ちくま学芸文庫)

 

 今日読み終わった本。

シャボテン(サボテン)についてのエッセイなのだけど、めちゃくちゃ面白い。

サボテンの面白い生態を魅力的に語っているのもそうなのだが、サボテンを人間と重ねていく思索に惹かれた。砂漠の植物っていうだけでなにかざわめくものがある。

それにしてもサボテン(多肉植物)の和名はカッコイイものが多い。カラーのサボテン図版が数ページあるが、のっけから《白虚空蔵》《雷神》である。文化人の特殊な趣味として始まったものが広く知られていっただろうことを思わせる。

この本はちくま文庫の復刊で、実際に出版されたのは1974年。作者の七十のときのエッセイ集だが、若かりし頃は懸賞小説が谷崎に激賞されているなど、時代的にも面白い人物だった。寡聞にして知らず。

龍胆寺雄 - Wikipedia

蝶が超苦手(2)

それにしても蝶の翅の模様は恐ろしいくらいのデザインだ。

幼い自分が恐れをなしたヒメジャノメの翅の眼などは、あまりに丸すぎる。最近は見なくなったが、今でも最も怖い蝶の一種だ。

この模様が進化に基づいたものだということは、現代の大前提といっても過言ではないが、生き物の生態や模様については神の存在を疑ってしまいたくもなる。

もし自分が、ダーヴィンが進化論を唱えたときのキリスト者だったら、間違いなく戯言だと切り捨てていた。これは断言できる。翅に眼がつくのは、なにものかの意志ではないのか?直感的には、自然に翅に眼がつくなんてことは有り得ない。

 

そもそも、蝶の完全変態が進化によって起きるのは何故なのか??

完全変態の昆虫が進化していくなかで、蛹というプロセスが成立するようになってきて、いまの完全変態が成立しているはずだが、それがもう理解できない。なんでそんなことができちゃうのか。

昆虫を研究している後輩に聞いてみたことがあったが、そんなに不思議なことではないらしい。理由はわからない。なにか良い本ないかな?

 

進化の話だけでなく、生物の誕生自体もよくわからない。

なぜもろもろの物質から意味のある組み合わせが成立して、地球最初の生物が誕生できるのか。神を導入したほうがむしろ分かりやすいと思うのだ。

一昨日紹介した、『リング』シリーズと『二重螺旋の悪魔』は、実はそういった類の小説です。

宗教家になってしまう生物学者が多いという話は、むかし誰かから聞いた眉唾な話だけど、リアリティはあると思う。

進化になぜ神を導入してしまうのだろう。明日に続く。

 

 

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進化について書いた本で、最近面白いと思った本

理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ

理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ

 

 領域横断的な「人文書」だが、ドーキンスを取り巻く論争などが知れて面白い。

現代の「進化」という概念を取り巻く誤謬にモノ申す一冊。

ドーキンス利己的な遺伝子』は高校生のときに読んでもう記憶がほぼ無い。あとちょっとしかないが、在学中に読み直そうと思っている。