全部全部雑記

思ったことを恥ずかしげも無く

充実した週末

週末は充実していた。ひるがえって、今日の充実してなさといったら無い。弟も風をひいてモンハンができなかった。そして寒すぎていろいろ無理だった。溜まっていた録画を処理した。旅行帰りに帰ってきて楽しみなのは、意外と録画の溜まり具合だったりする。旅行なんてしてないんだけど。

 

だから日曜日のことを書きます。日記といいつつ前日の話を書いているのはしょうもない。

日曜日は友達と遊びに行った。一つ目は、ユーラシアフェスという日本ユーラシア協会が主催する会。この協会は旧ソ連諸国との交流を深める目的らしい。ちょっと値段設定がお高くて、学生上がりの自分には何一つそれっぽいものが買えなかった。なので比較的安かったソ連のバッジを買ってきた。右にいるのは子虎のチャンドゥ。ディズニーシーでゲームに負けたときに貰った参加賞である。なぜ1922-1972年なのか調べても良くわからなかった。

f:id:ryoutaani:20170328025448j:image

 

二つ目は、東京新美術館でやっているミュシャ展。東欧まみれだ。

〈スラヴ叙事詩〉という20点にも及ぶシリーズものが目玉で、あまりにカンヴァスが巨大で驚いた。美術館の天井まで届くサイズで、図録によればだいたい高さが6m、横が8m。

この一連の〈スラヴ叙事詩〉は、スラヴ民族という、曖昧なはずの民族の「ルーツ」みたいなものを再編していく作業だろうと思う。時代的に見てもおそらく。本当に困難な作業だったはずで、さらにその選び取った物語を見てきたかのように、細密に描写しつつ、迫力ある構図で、美しく描けるのは凄い。小学生並みの感想すぎる。

〈スラヴ叙事詩〉には、こちらを見つめる暗い眼をした人々が散見される。迫力がありすぎて眼を背けてしまいそうになる。スラヴ民族の物語を美しいだけで終わらせようとしない意図を感じた。野暮かもしれない。図録にもっと良いこと書いてないか読み込んでみようと思う。

日本でも戦前は、こういった民族を見直す絵画というのは流行っていたということを思い出した。これは日本文学の授業で学んだ。有名な画家でいえば青木繁などがそうで、「海の幸」は教科書でよく見る。「わだつみのいろこの宮」を授業で扱った。日本には『古事記』や『日本書紀』などの創世記があるし、島国なので国境もわかりやすい。スラヴよりは簡単だったろうと思う。〈スラヴ叙事詩〉は舞台になっているのが東欧全域らしく驚く。東端はロシア、西端はオランダ、南端はギリシャで、この地域以上に国境が目まぐるしく変動する地域を知らない。ただの不勉強かもしれないが、東欧にはそういった印象がある。

たまたまユーラシアフェスを見に行って、そしてたまたまミュシャ展を見たが、深い関連を感じて不思議である。

 

三つ目は渋谷のシアターフォーラムで「人類遺産」という映画。

自分にはビターすぎる映画で結構寝てしまった。廃墟の映像が定点カメラで淡々と写されていく。2分くらいで場面が切り替わる。海外の監督作品だが、福島や軍艦島など日本も登場していた。

人間がいなくなった世界は、草とか鳥とか塵とかが生きていて、別に人間滅んでも問題ないなと思った。逆に、生きている場所を廃墟にしないために、人間があくせくしていると思うと空しくなる。希望が欲しい。

廃墟はそれだけでスペクタクルだと思う。なので、もうちょっと物語が欲しい。映像美だけで楽しむという楽しみ方はちょっと自分には早すぎると感じた。

 

もうちょっとで仕事始まるし、遊ばないと。おやすみ。