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思ったことを恥ずかしげも無く

『アメリカの鱒釣り』について

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キュートな鱒君に食べられている献辞がたまらない、リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』

今日は特にイベントもなかったしバイトしてただけなので、書くことが無く、つらいです。

 

『アメリカの鱒釣り』は2-3ページ程度の掌編の集合体で、〈アメリカの鱒釣り〉という、緩く、なんだかわからないテーマでギリギリ繋がっているような詩的な小説である。

原題がTrout Fishing in America なのだが、このAmericaはこの小説の重要な要素だと思う。つまり、イメージの山積としてアメリカを捉えようとする一種の試み。自分はこの小説をそう受け取った。どの話でもそうなのだが、アメリカの固有名が必要にでてくる。

表紙はアメリカン・ドリームの体現者ベンジャミン・フランクリン。この小説の最後の言葉をマヨネーズで終わることを強く意識している。

藤本和子さまが訳者あとがきでも指摘しているが、『白鯨』との関連は面白いと思う。海のビッグな鯨から、クリーク(小川といえる?)のスモールな鱒へ。表紙と最後の言葉は関連している。大きなものから小さなものへ。ストーリーにそういった方向性は無いのだが、テーマ自体にはそういった小さなものへの視点が大きく関わっていると思うのだ。

小さなものに焦点化することは、この小説のイメージの広がりと、イメージの山積としてのアメリカに繋がっている。

 

 

筋を語るのが難しい以上、この小説がなぜ面白いのかを語るのも同時に難しと思うのでした。おやすみ。