短い一週間
今週は短かった。
先週の木曜から火曜日までおやすみで、仕事に行ったのは3日間。そのうち1日は研修で一日終わり。余裕だったので今日は夜更かしをしていたりする。
月曜か金曜に有休とると一週間が短くなるという至極当然のことに気づく。先輩に嫌われそう。
金曜から月曜まで愛媛にいた。友達が愛媛で仕事しているので遊びに行った。台風直撃でだいたい雨。台風の日は温泉に入ってROUND1に往くなどした。愛媛は良いところで面白いこともあったが、友人たちが面白すぎて霞む。
1人旅はとことん向いていないと大学1年の頃悟った。どこそこに行きたいと思っていても、実際に行ってみると、ふーんとなって終わる。不感症なのかも。
エピソードトークができるようになれば変わるのかもしれない。
とにかく、旅行は友人と行きたいと思う。
明日は朝髪を切りに行って手術した祖父に会いに行く。家どうしよ...
おやすみ。
介護
完全にボケた祖母が、最近家にいる。もう少しで施設に預けるらしいが、数日だけで介護のやばさの片鱗を味わっている。
まともに歩けないのに歩き回りたがる。トイレに行くと、もと居た場所がわからない。極端に風呂を嫌がる。などなど
意思なくして動き回る祖母を見て端的にゾンビを思い出す。
祖母は自分をとても良く可愛がってくれた。だからこそ、今の祖母を見るのは悲しい。
性根が優しいおばあちゃんなので、なにかしてあげる度に丁寧にお礼をしてくれるので、辛さは少ない。
が、ボケるとやたらキレる偏屈な老人もいるらしく、そういった人を介護する方々には本当に頭が上がらない。介護疲れで殺人というニュースを良くやっているけれど、許してあげて欲しくなる。
なにより生産性が無い。精神的に疲れるし、何をするか想像もつかないので、目も離せない。在宅で介護に専念する方々の多くは、家にいる老人に早く死んで欲しいと思ってるのではないかと勝手に想像する。
母は、いつか往く道といって積極的に介護しているが、自分にはそのリアリティがまだ無い。
自分がボケる頃には、意思表示カードで死ねるようになっていて欲しい。アルツハイマーにステージがあるのか知らないが、ステージ4になったら殺してカードみたいな、そんなのが欲しい。
新世紀ゾンビ論: ゾンビとは、あなたであり、わたしである (単行本)
- 作者: 藤田直哉
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2017/03/23
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普段はやらない今日の一冊。現代とゾンビ表象についての考察本。
明日から愛媛に行く。楽しみ!おやすみ。
社会人1年目、家を買う。のか
地元に家を買う話が来ている。
普通なら断るところだが、1000万の補助が出るといわれると心がゆらぐ。むしろグラグラ来ている。我が人生で稀に見る分岐点。ここまでのものは無かった。
1000万というリアルな大金...「金は命より重い」と利根川は言っていた。金は命より重いとして、人生よりも重いのだろうか?
ここで家を買うと決めると、結婚は近辺の人に限られる。20年後には自分が親の介護をすることになる。ローンの支払いが必要になる。薄給なのに大丈夫か?来年から住民税が差し引かれる。
祖母が完ボケして、祖父の下半身が動かなくなった。そこでこの近辺に家を買って介護をするらしい。1000万は祖父から出る。ほんと老人は金持ってますわ。
祖母は今日うちに泊まっているが、ここがどこだか全くわからず、階下から「私はどこにいればいいの?」と声が聞こえてくる。孫の顔を全く覚えていない。
今日は仕事終わりに映画を見たが、つまらなかった。おやすみ。
雨の日は歌う
まさに秋雨。日照不足だ。
稲は外側から刈っていくと作業効率が良いという。田の真ん中に残った稲と、カバーがかけられたコンバインをカッパを着た通勤途中に横目で眺めている。
農家は晴れ間を縫って稲を刈っているらしい。雨が降ると、そうやってコンバインを置いて家に帰る習性があるという。
間近で見る稲の質量は、遠目で眺めているのとはわけが違う。一束あれば、鈍器として使える可能性がある。田んぼのドロが付いていればまさに鈍器。たわわに実った穂のあたりを持ち手に思い切り後頭部を殴打。相手はあえなくノックダウン。そこらじゅうに散ばる籾殻のついた米粒.、横たわる人体...
人格を疑われそう。
雨の日はカッパを着て原付に乗って熱唱しながら帰る。人もいないし、車の窓もあいてないのでほとんどカラオケ状態。
大学生半ばくらいまで、道を熱唱しながら往来している人はヤバイ奴だと思っていたが、なんのことはなく、いつの間にか自分もヤバイ奴になっていたのである。
ちなみに、晴れの日は人目を忍んで原付で熱唱している。
後輩に耳を塞がれるくらい、歌はとにかく下手。おやすみ。
「家事ができない」と言う男がモテているという不可思議な事実
家事ができないのであれば、一人で生きていけないため、逆説的に配偶者がいるということになる。
そもそも「家事ができない」と言う男の絶対数は少ないかもしれない。親に家事をやってもらっているのかもしれないが。
昔、家の外で仕事するより、専業主ふのほうが仕事としては楽でしょと呟いたら周りの女性たちから激しく非難を浴びた。ちなみに自分は今でもそう思っている。
生きていくためにやらないといけないことのついでに、もう一人分やればいいだけである。ただ、自分が満足できる以上の家事を求められるのであれば、面倒くさいかもしれない。
専業主婦というキャリアを男性よりも選びやすい女性。その点に関して自分は、とても羨ましく思う。今でも専業主夫になりたい。
自分は家事完全分業制の両親の元で育ってきた。ご飯はほぼ全て父が作った。食器は母が洗う。母は父が洗濯した物を干し、兄弟で洗濯物を畳んだ。風呂がある時期は兄弟で風呂当番を回した。家事は女性がやるものだとは、微塵も思っていない。
非難は、家事が大変だということに集中していたが、本当に大変ならば一人で生きていくことなど不可能ではないか。男性か女性、どちらかが家にいて家事をするのが良いと考える人がいるならば、時代遅れだとしか言いようがない。それは、少なくとも現状維持をしていくような考え方だ。
家事が大変でないという男に言うべきことは、ただひとつ「じゃあお前がやれ」である。おれはやる。
そもそも養えるほど甲斐性がない。
「俺が食わせてやっている」という男が存在するらしいが、言語道断のゴミ頭である。悲しき過去の遺物。
家事をしてもらっているなら、外で働いてもらっているなら、感謝以外に無いでしょうとも。
おやすみ。
恋に恋せず恋ができるか
高校生くらいのときに初音ミクが登場して、彼女が歌う「メルト」が一世を風靡した。
1番のサビのラストは「恋に恋なんてしないわ私、だって君のことが好きなの」
ずっとそんな恋に恋して一生が終わりそう。
なんにせよ自分には、どこかで自己目的化が必要なのだ。
恋がしたいから恋をする。性交がしたいから性交をする。
だがそれが簡単にいけば苦労しないわけで、どこかで客観的な自分が何かちゃちゃを入れてくる。消えてくれ。その人が、遊戯君のもう一人の僕のような、髪が逆立つ人格だったら良かったのに。
性交に関しては壊滅的で、リビドーが薄いのだとすら思う。
純粋に、口を口で塞ぎたい、性器をぶち込みたいと思ったのは両方とも1回きりで、そのどちらとも実行していない。
結果「そういうことも無かったし、私に興味ないのかと思った」と言われる始末。
逆に、俺に興味があったのかと聞きたい。
欲望も能力も低い自分が言えるのは恨み言ばかりである。鼻くそバイバイ。
こんなに夏が終わるのが早い
9月に入ると同時に夏が終わった。すでにTシャツ1枚で歩くには寒い。
8月の長雨で夏真っ盛り感が薄く、転がるように夏が終わった。暑い日がまた続くのかもしれないけれど、夏が終わった。今週は稲刈りで先輩が一週間休みだ。稲を刈るんだから夏も終わる。入道雲がはるかに見えても眼前に歯抜けの田んぼが広がっているのだから夏も終わり。
今日やったことは、DVDを返して新しいDVDを借りてくること。回復していた。
昨日は、子供がキャンプの写真を買いに職場にやってきた。小学生は思った以上にアホで可愛い。子どもが欲しくなる。シコシコと雑文を書いている自分があんな風だったのかと思うととにかく不思議だ。いつからこんなシコシコを書く人間になってしまったのか...侘しい。
夜は友達と怪談バーで会談。六本木まで出張った甲斐があり、楽しかった。怪談は夏というイメージがあるが、そのバーは一年中やっているらしい。もっと近ければ常連になっていたかもしれない。
ティムバートンの映画によく出てくるような、生で物語ができる人間になりたい。ホラを吹けるようになりたい。
次回のキャンプまでに一つ怪談を修得し、子供を怖がらせる。小さな目標である。
次バーに行くときは、お酒を少し飲もうと思う。おやすみ。