全部全部雑記

思ったことを恥ずかしげも無く

未来世紀ブラジルかよ

社会人初の一週間が終わった。

なれないことばかりで毎日疲れて帰ってくるのでブログの更新はサボってました。慣れるまで不定期になると思われます。

 

仕事はといえば、研修を終えて、えげつない量の書類を処理しまくっている。今日休みだった先輩の机は書類の山ができていてかわいそうだった。この書類処理ゲームをしていて、「未来世紀ブラジル」のリアリティを感じた。

同じ課には同期がいない。そもそも同期が少ない。同期は上手くやってるのかな?来週飲み会でも開いてみようと思う。お酒飲めないけど。

 

上司も他の課の先輩方も優しくしてくれて、この職場で良かったと思う。家近で、転勤ないってのがホントに幸せ。残業しても帰り道にさらに疲れることもない。ちなみに残業は繁忙期には結構あるらしい。といっても残業代はつくし、帰ってきてもそんなにやることないので、適度に残業したいとすら思う。

良い睡眠のために、寝る前は携帯とかパソコンとかを開かないようにして、1時間ぐらい本を読むようになった。学生のときより健康かもしれない。

明日は映画でも見に行こう。東京に出よう。

スーツの切れ端なんて、いらない

明日から新社会人で、この一週間殺伐と充電していた。ブログもサボっていた。

今日は社会人に必要そうな手帳とか整髪量を買いに、ちょっと遠くのショッピングモールまでドライブした。東京の桜は満開らしいけれど、このあたりは五分咲きくらいだと思う。今日は地元の桜祭だったけれど。なんだかんだの距離を感じた。

大きなショッピングモールのLoftで細々した買い物をしてから、ぶらぶらモールを歩いていても、買いたいものがなにもない。タワレコの前にあった100円を入れるとチョコが出てくるやつでチョコストーンを買って、その小さいコップを持って車に乗った。とにかく今日、石に見えるチョコとかいう、ふざけた菓子を無性に食べたくなった。今日なら文字通り、死ぬほど食べれたと思う。いくら100円を入れたら、あのガチャを空にできるのだろう。

今日は頭の中で、ずっと修二と彰の「青春アミーゴ」がながれていた。♪SI-SIお〜れたちはいつで〜も……

 

明日はスーツを着て、朝8時に家を出る。スーツのポケットになぜか入っているあのスーツの切れ端は、抜いてから行こう。

おやすみ。

散髪

髪が伸びてくるとうっとうしくなってすぐに切ってしまう。エロいとすぐに髪が伸びるんだと小学校のときに女子に言われた。そうかもしれない。

うっとうしくなってくるのは実際そうなんだけど、切るたびに違和感を覚える。髪が長いほうが似合っているというか身の丈にあっているような気がするのだ。鬼太郎くらい髪が長いほうが、なにか落ち着くと思う。

床屋にいくと絶対眼鏡をはずされるが、目が普段より見えないせで鏡に映る自分の顔が余計に不細工に見える。お金を払って髪を切ってもらうのが申し訳なくなる。どんな髪型にしても無駄を感じる。

さらば髪の毛たちよ。

 

ミュシャ展についてで書き忘れたことを。

一番気になった絵は、「ハーモニー」だった。絵というよりキャプションが気になったのかもしれない。こんな感じだった。

「〈理性〉と〈愛〉の間で〈調和(ハーモニー)〉をもたらすのは〈英知〉であるというミュシャの思想が反映されている。」

ミュシャ展 アール・ヌーヴォーの華 | 企画展 | 長崎県美術館 (ハーモニーの縮小版あり)

前半はなんとなく言いたい事がわかる気がする。だけど〈英知〉ってなんだろう。「ハーモニー」の中心で手をかざしている人物が〈英知〉氏なのかは不明だけれど(そう見える)、ソフィアの訳語として英知があるならば、女性で表現されるのでは?複雑だ。

自分は露骨にハーモニーを欠いているので、〈英知〉氏の出現を頼りにしている。

充実した週末

週末は充実していた。ひるがえって、今日の充実してなさといったら無い。弟も風をひいてモンハンができなかった。そして寒すぎていろいろ無理だった。溜まっていた録画を処理した。旅行帰りに帰ってきて楽しみなのは、意外と録画の溜まり具合だったりする。旅行なんてしてないんだけど。

 

だから日曜日のことを書きます。日記といいつつ前日の話を書いているのはしょうもない。

日曜日は友達と遊びに行った。一つ目は、ユーラシアフェスという日本ユーラシア協会が主催する会。この協会は旧ソ連諸国との交流を深める目的らしい。ちょっと値段設定がお高くて、学生上がりの自分には何一つそれっぽいものが買えなかった。なので比較的安かったソ連のバッジを買ってきた。右にいるのは子虎のチャンドゥ。ディズニーシーでゲームに負けたときに貰った参加賞である。なぜ1922-1972年なのか調べても良くわからなかった。

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二つ目は、東京新美術館でやっているミュシャ展。東欧まみれだ。

〈スラヴ叙事詩〉という20点にも及ぶシリーズものが目玉で、あまりにカンヴァスが巨大で驚いた。美術館の天井まで届くサイズで、図録によればだいたい高さが6m、横が8m。

この一連の〈スラヴ叙事詩〉は、スラヴ民族という、曖昧なはずの民族の「ルーツ」みたいなものを再編していく作業だろうと思う。時代的に見てもおそらく。本当に困難な作業だったはずで、さらにその選び取った物語を見てきたかのように、細密に描写しつつ、迫力ある構図で、美しく描けるのは凄い。小学生並みの感想すぎる。

〈スラヴ叙事詩〉には、こちらを見つめる暗い眼をした人々が散見される。迫力がありすぎて眼を背けてしまいそうになる。スラヴ民族の物語を美しいだけで終わらせようとしない意図を感じた。野暮かもしれない。図録にもっと良いこと書いてないか読み込んでみようと思う。

日本でも戦前は、こういった民族を見直す絵画というのは流行っていたということを思い出した。これは日本文学の授業で学んだ。有名な画家でいえば青木繁などがそうで、「海の幸」は教科書でよく見る。「わだつみのいろこの宮」を授業で扱った。日本には『古事記』や『日本書紀』などの創世記があるし、島国なので国境もわかりやすい。スラヴよりは簡単だったろうと思う。〈スラヴ叙事詩〉は舞台になっているのが東欧全域らしく驚く。東端はロシア、西端はオランダ、南端はギリシャで、この地域以上に国境が目まぐるしく変動する地域を知らない。ただの不勉強かもしれないが、東欧にはそういった印象がある。

たまたまユーラシアフェスを見に行って、そしてたまたまミュシャ展を見たが、深い関連を感じて不思議である。

 

三つ目は渋谷のシアターフォーラムで「人類遺産」という映画。

自分にはビターすぎる映画で結構寝てしまった。廃墟の映像が定点カメラで淡々と写されていく。2分くらいで場面が切り替わる。海外の監督作品だが、福島や軍艦島など日本も登場していた。

人間がいなくなった世界は、草とか鳥とか塵とかが生きていて、別に人間滅んでも問題ないなと思った。逆に、生きている場所を廃墟にしないために、人間があくせくしていると思うと空しくなる。希望が欲しい。

廃墟はそれだけでスペクタクルだと思う。なので、もうちょっと物語が欲しい。映像美だけで楽しむという楽しみ方はちょっと自分には早すぎると感じた。

 

もうちょっとで仕事始まるし、遊ばないと。おやすみ。

祖父の家を片す

昨日は祖父の家を片しに行った。

祖母がボケていて、祖父も体力的に辛い部分があるので、祖父の家に父が住みこむことになるらしい。父が寝泊まりするスペースを作るために、物置になっている二階の小部屋を片すということらしい。

荷物の量が文字通り果てしない。祖父は物を捨てられない人だと父は言う。間違いないと思う。整理できないタイプの人間だったら、絶対にゴミ屋敷になっていると確信できる物量である。

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タンスを別の部屋に移すのに、タンスを運ぶ以外に異常な労力がかかる。タンスの上の物が効率的に完璧に組まれているのだ。わかりにくいかもしれないが、この手前に写っている棒状のものは、荷物を乗せるために部屋に掛けられているつっかえ棒である。驚くべきことだが、上に積んである荷物はこの棒の隙間から全て取り出すことができた。

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タンスを別の部屋に移した後、その後ろに積んである荷物も綺麗に積まれている。全てにラベルがついていて、中に入ってるものがわかるようになっている。ただし、これが一人で取り出せるかは甚だ疑問である。

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敬老感謝の日にもらえるらしい地域のタオルが、箱に入ったまま綺麗に積まれている。全てもらってきてうちのタオルになった。

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いらないもの、ゴミなどは自分の実家に持って行って処理する。そうしないと部屋が片付かないと父は言っていた。これには、気を使っていると感じざるを得ない。いらないものは捨てれば良いのにと思う。さすがに偏執的だと思ったのは、ものを詰めるための段ボールが畳まれて、大きな段ボールに入れられて場所を取っていることだ。これは捨てればいいと思ったが、ちゃんとしっかりしまって帰った。

ただ、部屋を片していて思った。この部屋を綺麗に片付けたら祖父がボケるのではないかと。これはさすがに神経症ぽい。

大したことのないものが整頓されて部屋に積みこまれていること。僕が小さい頃に遊んだおもちゃや貯金箱が出てくるのは、少し嬉しい。

 

祖父が寝ている部屋には、なぜかたくさんの時計がある。全てちゃんと動いている。

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が、今回の掃除で時計が一つ壊れた。振り子時計だったけれど、落ちて割れてしまった。祖父は直すと言っている。パーツの一部を捨ててしまったかもしれない。直せるだろうか。心配。

 

今日もだいぶ遊んだ。これはまた明日。おやすみなさい。

 

 

 

上野へ

大英自然史博物館展を見に、上野に行ってきた。梅は満開。桜は日の当たるところなのか、養分が良くいくところなのかわからないが、ちょっと咲いていた。お花見している人もちらほらと。日は差していたけれど、風は冷たかった。

平日なのに上野公園は混んでいて、たくさんの人がいた。黄色人種が最も多く、白人、黒人もいた。国はわからない。大英自然史博物館展も整理券を配っていて、わりかし混んでいた。

 

展を見て、つくづくヒトの残酷さを思う。大英自然史博物館オープン時の目玉だったという、ハチドリの展示は邪悪さすら感じた。シルバニアファミリーのお家くらいのガラスケースのなかに木をあしらって、これでもかというぐらいハチドリが備えられている。

自分もそれを美しいと感じた。悲しいがそう感じた。キリンの首の中ばから上だけの剥製など展示されていたが、悲しいことにやはり美しい。「大英」からの海外へのエキゾチックな視点を思えば、当時この剥製をみたときの感慨も一層強いものだったろうと思う。

相手を殺してでもわかりたいと思うほどの強い好奇心はきっとあるのだろう。そしてそれを美しく保存したいというのは良く解る。そういった先人が圧倒的な魅力を誇る生物学の研究に一役買っているのはいうまでもない。とてつもなく尊敬。

 

今回の目玉(?)の始祖鳥も良かった。レプリカは福井にいったときに見たけことがあったが、自然史博物館の始祖鳥は、数少ないその化石の中でも保存状態が良く、骨がしっかり残っていることがわかる。研究も進めやすいだろうと思う。

始祖鳥の化石というとベルリンのあの形が思い浮かぶ。あれはもう、とにかくいい死に様である。始祖鳥には申し訳ないが。化石になるならあんな風に化石になりたいと思わせる逸品。また日本に来たら見に行きたい。

始祖鳥というだけあって、この生物以降の鳥っぽい生物は鳥類に分類されているらしい。始祖鳥以前の恐竜から進化した鳥っぽい生物は恐竜と分類される。恣意的だが、それくらいしないと、そもそも上手く分類などできるはずがない。それにしても、恐竜から進化していく過程で、鳥的な形質を獲得できたとして、なぜ空を飛べるようになるのか。自分にはやはり理解不能。ウン千万になる時間が解決しているのだろうか。福井の恐竜博物館にいた、同期の知り合いという研究者の方に、時間の感覚は慣れるのかと尋ねたところ、恐竜くらいなら「最近」という言葉を使うこともあるという。末恐ろしい... この方には研究者ならではのコアな解説をして頂いて、ありがたかった。

 

出口に大英自然史博物館展ガチャがあったので回したら、狙いの始祖鳥がでて声が出そうになった。「呪われたアメジスト」とかじゃなくて本当に良かった。

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 図版も2000円とは思えない充実ぶりで、買いの一言。大英自然史博物館展というだけあって、まさに博物誌的にまとめられていて、一冊の読み物としてかなり楽しめる。図録というと値段設定は2000円前後で、小論が最初か最後にちょっと乗っているくらいで展示の解説などは薄いが、この図録はとにかくテクストが多い(もちろん博物館展だからといのもあるが)。一つの展示につき一つの小さな簡素な説明があり、これが良い。著名な研究者が2ページくらいのコラムを書いていて、これも面白い。写真も美しい。行ったなら買ったほうがいいと胸を張ってオススメできる一冊。

 

時間があったのでさらにVOCA展を観覧。ちょっと自分は平面を鑑賞する能力が低いと感じる。コンセプトすら説明を見ないとわからないし(つまりわからない)、平面からなにかを感じとることができない。せいぜい写実的かどうか。近代止まりである。ポロックのコンセプトはわかるし面白いが、それが感情にどうくるのかイマイチわからないというのが、さらに酷くなった感じ。無念だ。

 

上野のカラスはとにかく立派だと思う。眼をつつかれたら眼底まで届きそう。食料も住処も豊富なんだろう。彼らがある恐竜の進化の現在的な果てというのは、やはり不思議だ。自分と猿のほうがよっぽど近い。横に比較できる恐竜がいればと思う帰り道だった。

またこんな時間になっちゃった。明日は祖父の家を片しに行く。おやすみ。

夜行性のケモノ

自分は夜行性の生き物なんじゃないかと思う。朝起きてもとにかくダルいだけで、ぼーっと携帯を眺めて、気づくと寝ている。夜に生きる生物になりたい。

いっそ夜に働くという手があるけれど、夜働ける場所はだいたいアルバイトでしょう。皆様が昼に活動しているのが悪い。そもそも日光が明るいのが悪い。

眠らない街、歌舞伎町でホストとして生きる。女の子と話せないし、お酒も飲めない。そういえば、この前歌舞伎町をウロついた。意外とこじんまりとしていた。

 

樹下太郎の掌編に「夜に別れを告げる日」というものがある。地球規模で人工太陽を打ち上げる計画が実行される。その前日の地球の様子を描いた短編である。夜を無くすなんてけしからんと思うし、否定的な話になりそうなものだが、「夜に別れを告げる日」はむしろ、多少の悲壮感はあるものの、祝祭的にその一日を描いている。良い短編である。

明日は昼間に活動したい。おやすみと言う。