夜行性のケモノ
自分は夜行性の生き物なんじゃないかと思う。朝起きてもとにかくダルいだけで、ぼーっと携帯を眺めて、気づくと寝ている。夜に生きる生物になりたい。
いっそ夜に働くという手があるけれど、夜働ける場所はだいたいアルバイトでしょう。皆様が昼に活動しているのが悪い。そもそも日光が明るいのが悪い。
眠らない街、歌舞伎町でホストとして生きる。女の子と話せないし、お酒も飲めない。そういえば、この前歌舞伎町をウロついた。意外とこじんまりとしていた。
樹下太郎の掌編に「夜に別れを告げる日」というものがある。地球規模で人工太陽を打ち上げる計画が実行される。その前日の地球の様子を描いた短編である。夜を無くすなんてけしからんと思うし、否定的な話になりそうなものだが、「夜に別れを告げる日」はむしろ、多少の悲壮感はあるものの、祝祭的にその一日を描いている。良い短編である。
明日は昼間に活動したい。おやすみと言う。
モンスターを狩っている
罪のないモンスターを殺して素材を手に入れて、装備を強くしてさらに強い罪のないモンスターを殺している。
物語の弱い殺戮ゲームがそれでも根強い人気を誇るのは、攻撃的な欲望がうちに潜んでいるからだと感じざるを得ない。比較的おとなしい自分でさえ殺戮を楽しんでいる。
今日は学校までドライブして、書類をゲットしにいった。県境になっている大きな川を渡る。橋からみると、土手の菜の花が盛りだった。一面黄色で、生えすぎていてちょっと気持ち悪いと思う。
山ほどの車とすれ違うけれど、みんなどんなことを考えて運転しているのだろう。
送別会
バイト先で送別会をしてもらった。自分のバイト先はブラックなバイト先というイメージがある気がするけれど、そこまでではなかったと思う。労働環境は業界で決まるというより、働く場所によるとしか言いようがない。
2年くらい働いただけで、お花や個人的なプレゼントを頂いたりと至れり尽くせりでむしろ恐縮してしまった。
終電で最寄駅について、お花とプレゼントを前カゴに入れて自転車で帰る。今日は暖かかったので上着は着ていかなかった。
終電が一緒だった知らない女の子と、帰る方向が全く一緒で困った。自転車を置いた場所をすぐ忘れてしまうので、駐輪所で毎回うろうろしている。そんなやつがずっと後ろからついて来たら、きっと怖いだろうと思うのだ。こういう時、どうすればいいんだろう。前カゴにお花を入れたストーカーの事案。もう春だし。
花は桜木、芋はジャガイモ
昨日は本当にジャガイモしか食べなかった。ポテトチップスとプライドポテト。美味しすぎる。
ジャガイモは芋界の桜である。これにはサツマイモ側からの反発がありそうだが、諸説あるということにしておこうと思う。
そしてポテトチップスはスナック界の桜である。異論は認める。
それにしても、地元のスーパーにはサワークリームオニオン味のポテチが少なすぎる。コンソメパンチとか減らして代わりに置こう?
声のこと
しゃどばすチャンネルという、スマホゲームの声優さんがやっているラジオを聴いた。声優好きになっちゃいそう。
声について思ったこと。
第二次性徴で声変わりが始まって男女の差異化が起きるという点をみても、声は本来性的なものだと思うが、普段から触れているせいなのか意外とそう感じない。「処女膜から声が出てない」という迷言を聞いたことがあるけれど、この迷言は露骨に声を性的にとらえている。
視覚を満足させることなどインターネット世代の我々には、いとも容易い。声優がアイドル的に扱われるのが目立ってきたのは、2000年代くらいからなのではと勝手に思っている。それは視覚的に満足する方法が容易になっていくなかで、聴覚にシフトしていくという流れなのかもしれない。初音ミクとかが流行るのもそれなのかもしれない。
エッチな動画を音声なしで見るのはきついと思う。やったことないけど。
おやすみ。
神経のこと
友人が歯の神経を抜いたらしい。歯の神経が抜けると、どんな感じなんだろう。
歯に神経が入ってるいうこと自体が実感しにくい。実生活の中で、歯に神経があると感じるのは、虫歯のときとか、オヤシラズで痛いときくらいではないだろうか。だとすれば、そこまで必要がある感じがしない。だが、あるからにはきっと意味のある神経なのだろうと思う。
歯の神経を抜いて、あの冷たい銀色のトレーにのっている、なにか糸状の自分の神経をみたときには、寂しさとか喪失感を自分は覚えるような気がする。どの神経も抜いたことが無いので想像でしかない。
よくみる都市伝説。「ピアスの穴を開けたら、なにか白い紐のようなものが耳から出ていたので切ってみると目が見えなくなった。その紐は視神経だったのだ。」耳から視神経が出てくるというのは、もう明らかに虚構的だ。だけど、神経が紐状のものであるというのはおそらく正しい。所詮紐みたいなもので目が見えているというのが、この都市伝説の怖い部分だと思うのだ。
神経とか脳とかホルモンの話が好きで、心理学の授業にしばしば出ていた。文化が醸成されるにあたって絶対的な始点があるとすれば、人間の脳だと感じていたからだった。授業でしばしば出てくるのが、ロボトミー手術というマッドな手術である。
簡単にいえば人間の前頭葉を破壊すると、精神疾患が治るという文字通りの荒療治である。この話を授業中に聞いて、貧血みたいになりトイレに駆け込んだ。今考えても気分が悪くなる。
自分がもっとも気分が悪くなる要因は、前頭葉の一部を破壊しても人間は生きていけるということ。これに尽きる。前頭葉を破壊すると感情の起伏が無くなり(?)、人間的でなくなる。でも生きている。その人は、手術前と後で同じ人なのだろうか。同一性を(おそらく)喪失して、それにもなにも感じない人間が生活できるということに、単純な気持ち悪さを感じずにはいられない。圧倒的な他者はやはり怖い。
気分が悪くなってきた。手をグーパーする。 おやすみなさい。