全部全部雑記

思ったことを恥ずかしげも無く

目が悪くなる

裸眼だと、30センチくらい先にある3センチくらいの文字が、眼を凝らしても読めない。眼鏡を換えるたびにレンズの厚さが増していく。就職のための健康診断で、自分の視力が0.04だとわかった。健康な人の目の、1/25しか見えない。0.01をきっていると思っていたので、意外と視力があった。

なぜこうも目が悪くなっていくのか。たぶん何かにピントを合わせるという作業を行ってきたからだと思う。どこを見るにしても、きっと自分はぼやっとしか見ていないのだ。だから観光に行っても、なんとなく流してしまう。そして目が悪くなる。

雰囲気をつかんで終わる。ある小説の物語はしっかり覚えているけれど、登場人物の名前を全く思い出せないようなもので、これではその小説について魅力的に語ることができない。

 

我ながら目が死んでいるとよく思う。死んだ魚の目というのは適切すぎる比喩だ。自分が魅力的だと感じる人の眼は、なぜか水分が豊富である。そういった人たちは涙を流すのが簡単そうで、つまるとこと感情表現が上手いのだと思う。目薬をさして寝る。

初めてのTDS

昨晩、金沢でディズニーランド行きの夜行バスに乗って、今朝到着。初めてのディズニーシーだった。有名なアトラクションに乗れて、とても満足。

それにしてもディズニーはいろんな意味で夢の国だ。景気が良すぎる。

制服で来ている子たちが本当にたくさんいた。高校生は平日に来てくれと思うけれど、弟によれば、だいたいこの時期に卒業式があるらしいので仕方ない。今日一日自分が楽しんで、制服でディズニーランドに行く気持ちがなんとなくわかった気がする。

自分が高3の女子高生だったなら、夜にパークを出て行くときは泣いてしまうような気がすると、出て行くときに思った。

舞浜から1時間半くらい(?)の家の最寄り駅まで、制服ディズニーの子と電車が一緒だった。すごい。今日最寄駅からディズニーランドに遊びにいった女子高生は10人以上いるかもしれない。

 

金沢にいたときから歩きっぱなしで疲れた。足が棒のようで、びっこをひいて帰ってきた。今日ディズニーで明日仕事の社会人の同期は尊敬。自分にはできない。だけど明日は早く起きよう。おやすみ。

いびき

他人のいびきはうるさく感じるけれど、それに怒ることが自分にはできない。

自分がいびきをかいているかどうか、分かるはずないことなのに、なぜそれに怒れるのだろう。

金沢に旅行してたが、同期はとにかくいびきがうるさかった。楽しい旅行だった。

夜行バスで東京に帰ります。おやすみ。

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東京たんけん

田舎者なので、東京はやはり怖いとです。

卒業旅行に金沢に行くのにお金の理由で自分だけ夜行バス。今は金沢にいて、モーニングを食べている。

新幹線に乗るくらいなら夜行でいって、そのぶん東京で遊ぼうと思うケチな性分であります。思いがけず旅行明けにディズニーシーに誘われたので、夜行バスという選択は結果的に完璧だった。

 

働くにあたり、東京に来る機会はめっきり減るだろうけれど、もし東京で働くことになったらノイローゼになりそうだ。

新宿の駅周辺はどこが地上なのかすらわからない。コンタクト屋がコンタクトにしませんかとめちゃくちゃ紙切れを押し付けてくる。田舎者と思われたくないので、引き返すことをせず、気づかないうちに同じところをぐるぐる回っていて、気づくと歌舞伎町にいる。悪夢的だ。

 

東京ステーションギャラリーの「パロディ、二重の声」を観てきた。

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70年代の日本のパロディを絵画中心に展示している。世界的にパロディの芸術的価値が評価され始めたのが60年代というイメージを持っている。70年代前後の日本の視覚文化としてのパロディに興味があった。

ギリ学生でタダで入れた。旅行なのに図版買っちゃった。

 

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鈴木慶則「非在のタブロー 梱包されたオダリスク

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 「レインボー北斎

 

パロディというあり方が難しいと感じる現在。パロっても観客が元ネタを知らないとパロディの意味がない。よっぽどのマスターピースでないとみんな知らないし。パスティシュへの展開。今回の展覧会の最後の映像はパスティシュへ開かれていたように感じる。

起こすな

寝ているのを邪魔されるのが嫌い。だから、寝ている人はなるべくそのままにしておく。三大欲求とならべたら、食事やセックスを邪魔されるようなものに近い。

だから、自分のことを叩き起こしがちなiPhoneの着信音が嫌い。電話がかかってくるにしても、アラームに設定されているにしても、それが良いことであったためしが無い。日本全土でアンケートをとったら、嫌いなメロディ第一位にランクインしてもおかしくないと思っている。逆恨みされるiPhoneの着信音君かわいそう。

電車の中で、自分に寄りかかって寝ている人も起こさない。おじさんにせよ、おねえさんにせよ。これはひとえに、中高生の頃、郊外から都内に通学していた経験による。自分の最寄り駅はギリギリ座れるくらいの空き具合なので、座って通学していた。やはり朝早いので眠くなり、寝てしまうと隣の人にもたれかかる。すると大体の場合、叩き起こされる。おじさんに肩でアッパーされたり、ジャンプの角で殴られたこともあった。でもときには優しいおじさんがいて、そういうおじさんは降りるまで寝かせてくれた。

どちらかでいえば自分はそういうおじさんになりたいと思った。なので今、もたれかかってくる人は起こさない。

もたれかかったおじさん御免。寝かしといてくれたおじさんありがとう。自分は大人になりました。

 

起こさないという観点でいえば、猫はやっかいな生き物で、四六時中寝ているから、自分が布団に入るときは起こさずにはいられない。ただ、寝起きに一番甘えてくるので、きっと許されているのだろう。むしろ、ほんとは寝ていなくて、寝ているふりをしているとすら思うときもある。それでも起こさないんだけど。

古いアルバムめくり、ありがてえ...とつぶやいた

所用があって、家にある写真を探していたところ、何冊も家族のアルバムが出て来た。お腹のなかにいたときのエコー写真から、小学生くらいまでの写真が、丁寧に、コメントつきで収められていた。祖父は今の1.5倍くらい大きかったこと。僕がテーブルの端の味が好きだったこと。父親がいつもグラサンをつけてキメていたこと。

母親が小学生くらいの頃のアルバムもあった。我が弟は誰似なのか不思議に思っていたが、明らかに母親似だとわかった。父方の祖父の若い頃にも似ているというから、やはり両親から遺伝子を受け継いでいる。

両親が結婚する前の写真とか、結婚式の写真とか、その他もろもろ。自分が生まれる前の両親の写真は、意外にもラブラブそうであった。今の観点から見れば、めちゃくちゃダサいペアルックでカナダに旅行していた。けど、恋人と写真を撮るのはちょっと恥ずかしいような気がする。

アルバムというものは、真にありがたい。手間隙がある種の愛であることを痛切に実感した。

 

だいぶ前から写真をとって実際に現像した記憶がない。写真が昔より撮りやすくなったにも関わらずである。自分が撮った写真はだいたいgoogleドライブに保存してあって、僕にすら見られることも無く、ホコリも積らずにそのままである。

家族ができたら1年くらいごとにアルバムをつくりたいと思う。10年に一度見られるか見られないかのものであっても、それだけの価値はあると感じる。

 

だけど、そもそも家族ができるのだろうか。謎である。

米寿

祖父母の米寿のお祝いに行った。

前も書いたが、祖母はボケている。祖父も左手の中指から小指までが動かなくなってきたという。心身ともに障りが出てきている。だけど、88まで生きるということは単純に凄いことな気もする。お祝いがあるのも頷ける。めでたいことだと思う。ただ喜び方は、まだいまいちわからない。

自分が88になったらおそらく寝たきりだ。あるいは88までに死んでいる。

若かりし頃に海兵だった祖父の身体ですらガタがくるのに、いわんや自分をや。ちょっとジムにでも行こうか。生来女の子ぐらいのパワーしかないし、なんとかなりたいとは思っていた。問題は、この田舎にジムがあるかということだ。寂れてそうだし、すぐに行かなくなりそうな気もする。

 

・・・

伯父さんの家の近くにラッコ公園と呼ばれる公園がある。名前の由来は、奇妙な顔をしたラッコの遊具があったことからだが、今日その公園の近くを通ったら、既にラッコはいなかった。あの変なラッコは葬られたのだろう。自分が小さい頃にすでにハゲかけていたし。ただラッコ公園はいまもラッコ公園と呼ばれているらしい。不思議。いや、そういうものなのかもしれない。