いびき
他人のいびきはうるさく感じるけれど、それに怒ることが自分にはできない。
自分がいびきをかいているかどうか、分かるはずないことなのに、なぜそれに怒れるのだろう。
金沢に旅行してたが、同期はとにかくいびきがうるさかった。楽しい旅行だった。
夜行バスで東京に帰ります。おやすみ。
東京たんけん
田舎者なので、東京はやはり怖いとです。
卒業旅行に金沢に行くのにお金の理由で自分だけ夜行バス。今は金沢にいて、モーニングを食べている。
新幹線に乗るくらいなら夜行でいって、そのぶん東京で遊ぼうと思うケチな性分であります。思いがけず旅行明けにディズニーシーに誘われたので、夜行バスという選択は結果的に完璧だった。
働くにあたり、東京に来る機会はめっきり減るだろうけれど、もし東京で働くことになったらノイローゼになりそうだ。
新宿の駅周辺はどこが地上なのかすらわからない。コンタクト屋がコンタクトにしませんかとめちゃくちゃ紙切れを押し付けてくる。田舎者と思われたくないので、引き返すことをせず、気づかないうちに同じところをぐるぐる回っていて、気づくと歌舞伎町にいる。悪夢的だ。
東京ステーションギャラリーの「パロディ、二重の声」を観てきた。
70年代の日本のパロディを絵画中心に展示している。世界的にパロディの芸術的価値が評価され始めたのが60年代というイメージを持っている。70年代前後の日本の視覚文化としてのパロディに興味があった。
ギリ学生でタダで入れた。旅行なのに図版買っちゃった。
「レインボー北斎」
パロディというあり方が難しいと感じる現在。パロっても観客が元ネタを知らないとパロディの意味がない。よっぽどのマスターピースでないとみんな知らないし。パスティシュへの展開。今回の展覧会の最後の映像はパスティシュへ開かれていたように感じる。
起こすな
寝ているのを邪魔されるのが嫌い。だから、寝ている人はなるべくそのままにしておく。三大欲求とならべたら、食事やセックスを邪魔されるようなものに近い。
だから、自分のことを叩き起こしがちなiPhoneの着信音が嫌い。電話がかかってくるにしても、アラームに設定されているにしても、それが良いことであったためしが無い。日本全土でアンケートをとったら、嫌いなメロディ第一位にランクインしてもおかしくないと思っている。逆恨みされるiPhoneの着信音君かわいそう。
電車の中で、自分に寄りかかって寝ている人も起こさない。おじさんにせよ、おねえさんにせよ。これはひとえに、中高生の頃、郊外から都内に通学していた経験による。自分の最寄り駅はギリギリ座れるくらいの空き具合なので、座って通学していた。やはり朝早いので眠くなり、寝てしまうと隣の人にもたれかかる。すると大体の場合、叩き起こされる。おじさんに肩でアッパーされたり、ジャンプの角で殴られたこともあった。でもときには優しいおじさんがいて、そういうおじさんは降りるまで寝かせてくれた。
どちらかでいえば自分はそういうおじさんになりたいと思った。なので今、もたれかかってくる人は起こさない。
もたれかかったおじさん御免。寝かしといてくれたおじさんありがとう。自分は大人になりました。
起こさないという観点でいえば、猫はやっかいな生き物で、四六時中寝ているから、自分が布団に入るときは起こさずにはいられない。ただ、寝起きに一番甘えてくるので、きっと許されているのだろう。むしろ、ほんとは寝ていなくて、寝ているふりをしているとすら思うときもある。それでも起こさないんだけど。
古いアルバムめくり、ありがてえ...とつぶやいた
所用があって、家にある写真を探していたところ、何冊も家族のアルバムが出て来た。お腹のなかにいたときのエコー写真から、小学生くらいまでの写真が、丁寧に、コメントつきで収められていた。祖父は今の1.5倍くらい大きかったこと。僕がテーブルの端の味が好きだったこと。父親がいつもグラサンをつけてキメていたこと。
母親が小学生くらいの頃のアルバムもあった。我が弟は誰似なのか不思議に思っていたが、明らかに母親似だとわかった。父方の祖父の若い頃にも似ているというから、やはり両親から遺伝子を受け継いでいる。
両親が結婚する前の写真とか、結婚式の写真とか、その他もろもろ。自分が生まれる前の両親の写真は、意外にもラブラブそうであった。今の観点から見れば、めちゃくちゃダサいペアルックでカナダに旅行していた。けど、恋人と写真を撮るのはちょっと恥ずかしいような気がする。
アルバムというものは、真にありがたい。手間隙がある種の愛であることを痛切に実感した。
だいぶ前から写真をとって実際に現像した記憶がない。写真が昔より撮りやすくなったにも関わらずである。自分が撮った写真はだいたいgoogleドライブに保存してあって、僕にすら見られることも無く、ホコリも積らずにそのままである。
家族ができたら1年くらいごとにアルバムをつくりたいと思う。10年に一度見られるか見られないかのものであっても、それだけの価値はあると感じる。
だけど、そもそも家族ができるのだろうか。謎である。
米寿
祖父母の米寿のお祝いに行った。
前も書いたが、祖母はボケている。祖父も左手の中指から小指までが動かなくなってきたという。心身ともに障りが出てきている。だけど、88まで生きるということは単純に凄いことな気もする。お祝いがあるのも頷ける。めでたいことだと思う。ただ喜び方は、まだいまいちわからない。
自分が88になったらおそらく寝たきりだ。あるいは88までに死んでいる。
若かりし頃に海兵だった祖父の身体ですらガタがくるのに、いわんや自分をや。ちょっとジムにでも行こうか。生来女の子ぐらいのパワーしかないし、なんとかなりたいとは思っていた。問題は、この田舎にジムがあるかということだ。寂れてそうだし、すぐに行かなくなりそうな気もする。
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伯父さんの家の近くにラッコ公園と呼ばれる公園がある。名前の由来は、奇妙な顔をしたラッコの遊具があったことからだが、今日その公園の近くを通ったら、既にラッコはいなかった。あの変なラッコは葬られたのだろう。自分が小さい頃にすでにハゲかけていたし。ただラッコ公園はいまもラッコ公園と呼ばれているらしい。不思議。いや、そういうものなのかもしれない。
タヌキと金魚
また家の金魚がタヌキに襲われた。低いところに置いてあった水槽の蓋が開けられて、3匹の金魚が犠牲になった。ガラスの蓋を割らずにあけて、律儀なものである。流金の鱗と綺麗な尾びれでけが、これまた律儀に残っていた。
金魚が食べられるのは仕方ないしかわいそうとは思わないが、父親はかわいそうである。朝晩かかさずエサをやって、丸々肥った金魚が野生に強奪されたのだから。
おそらくタヌキが水槽の蓋を開けたとき、金魚たちはエサだと思って迷わず水面にやってきて、逆にエサになってしまったのだろうと思う。この想像はとても悲しい。
だけど夜中外に出ると、水槽の周りは水浸しで、足跡がウッドデッキを点々としていることがあるから、多分タヌキは水に潜れるのだと思う。だから、どっちにしろ蓋が開けられた時点でおしまいなのだ。
それにしても、タヌキはどこに住んでいるのだろう。水槽に金魚がいなくなった今も、水に濡れた足跡をしばしば見かける。おいしい金魚がいるとわかって、家に出入りしているのだと思う。田んぼの向うの、たくさん木の生えた辺りから出張して金魚を採りに来ているのかもしれない。
栄養満点の金魚が必要だったら、妊娠しているかもしれないと思うと、また胸が膨らむ。それは、このあたりにまだタヌキが生息しているということだ。子ダヌキを捕まえてきて、飼ってみたいと思う。
母親は本当にタヌキを飼っていたそうで、笑ってしまう。成長して悪さをするようになったので、おじいちゃんが殺してしまったそうだ。その晩はタヌキ汁だったという。外側は剥製になっておじいちゃんの家に飾ってある。タヌキは今も、傘をかぶって、お酒をぶらさげて、床の間で遠くを見つめている。
不思議な体験
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大学2年生の冬、僕と友達2人と旅行に行った。大阪から和歌山を経由して名古屋へ。これは最終目的地の名古屋で体験した話。
その日は冬晴れで、気持ちよく名古屋周辺を満喫した。その後、当初から予定していた名古屋市科学館に行くことにした。大きいプラネタリウムで有名な科学館である。プラネタリウムだけでなく、常設の展示も見ていくことになった。
大きい科学館なので色々な展示がある。たしか「光の不思議」というブースだったと思うが、そこに影絵で遊べる部屋があって、僕たちはそこに入った。影絵を作って遊べるのだけど、部屋にはドアがないので、部屋の外を通る人たちの影が壁に映る。たくさん人が通って、中を覘いてピースしてみたりする人たちが少なからずいた。ぼーっと立って影が映る壁を見ていると、壁の上の方に、ゆらゆらと横に伸びる小さな手があるのに気づいた。腕の部分はとても細いのだけど、手のひらははっきりとパーの形をしている。不思議に思って見ていると、サッと消えた。全て一瞬のことだったような気がする。友達に「見た?」と聞かれてた。見た見たと答えると、眼を見合って一瞬沈黙し、苦笑い。3人で「こわあ」と言って部屋の外に出た。
もちろん、なにかの形で外の人の手が投影されたのかもしれない。その可能性も低くは無いが、不思議だった。友達もこの話をすると覚えていて、「あー。あったあった」って感じになる。
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怪談って書くの難しいなあ。これは実際にあった話です。
実話怪談が好きで、今も書店でみかけると結構買ってしまう。おすすめの実話怪談。
◆『新耳袋』シリーズ(全10夜)
一冊につき、九十九話収録。一晩で読むと不思議なことが起るという噂がある。ポップな怪異譚で、おどろおどろしい話は多くない印象。江戸の怪異譚、「耳袋」から名前を取っていて、「耳袋」もめちゃくちゃ面白いので是非。
映像化もされていてテレビでやっていた。若かりし頃の要潤や堀北真希が出演している。僕はテレビでやっていた「怪談新耳袋」から小説に入った形です。youtubeでも見れるかな?
著者の木原さんは後継シリーズとして『九十九怪談』というシリーズも書いていて、こちらも良い。
◆『平山夢明恐怖全集』シリーズ(全6巻)
こちらはおどろおどろしいものが多い。1巻は誤植が目立つ。
『独白するユニバーサル横メルカトル』などで有名な作家だが、バックグラウンドとして、実話会談があるのは面白い。
気軽に読める読み物として、実話怪談系は本当にオススメ。
一話くらい怖い話を語れるようになりたい。なので怪談バーに行ってみたいと常日頃から思っている。お酒は飲めないけどね。おやすみ。